「広島通信」は、広島の詩人で英文学者、クリスチャンだった故・大原三八雄氏が、第1号(1966年6月)から第68号(1983年7月)まで発行していたものです。
第1号で、大原三八雄氏は「われわれは決して平和が、大号令の下に捕捉できるなどとは、夢にも思わない。平和は、むしろひそかなところに、そして一人一人のこころのなかに、真理にふれることによって達成される理念しかない。文学はその働きをなしうるものであるし、『広島通信』は、そのような根源にたつ刊行物でなくてはならない。」と述べている。
発行は「広島県詩人協会」だが、実質的には大原氏の個人的献身的な作業であったと言えよう。
は、広島市国泰寺町の浅野図書館内にあった「広島県詩人協会」名で発行されたが、第20号(1970年4月9からは、「『広島通信』の会」に変わっている。このあたりの事情については、「通信」には何も記載はない。第47号(1974年12月)からは「広島市中央図書館」に移っているが、これも事情は不明だ。
大原三八雄氏は、「日本原爆詩集」 「世界原爆詩集」 「広島の詩」 などの編集に尽力された。
平和公園内にある「峠三吉碑」にある「にんげんをかえせ」の裏には大原先生の英訳が刻まれている。
私が大原先生に出会ったのは、1976年のことだった。前年、広島大学平和科学研究センターが創設され、ここに出入りしていた関係で、大原先生を紹介された。当時は、広島工業大学で英文学を教えておられたと思う。
このときから「広島通信」の「ヒロシマ日記」というコーナーを担当した。大原先生から送れてきた新聞の平和・原爆関係の切り抜きを整理して、タイトルをつけて、大原先生に送った。
第54号(1976年12月)の「ヒロシマ日記」は「7・9」から始まり、この号に私の名前が載っていることから、大学1年の夏から、第64号(1981年7月)の「ヒロシマ日記」(1980.8.7~1981.2.18)まで続いた。大学卒業が1980年3月なので、就職してからも編集に関わったことになる。このボランティアは、その後後輩に受け継がれた。その後輩は現在、京都で校長をしている。
「広島通信」には実に多くの文学者(詩人、俳人、小説家)や大学の研究者、各団体のリーダーたちが平和や原爆、戦争について寄稿している。先生の幅広い人脈をうかがい知る。
「広島通信」の研究は、広島の文学、ヒロシマ研究に資するものだと確信しているが、残念ながら原本が手元にない。大原先生から「広島の詩」は10冊いただいたが、「広島通信」は手元に残っていない。
㋃以降、いろいろ調べたところ、「復刻版」あることが判明した。
『広島通信ーヒロシマの継承』-全68号の復刻版ー
発行は「ヒロシマ ナガサキを考える会」だ。
1989年3月。
広島通信の終刊号(68号)は1983年7月なので、約6年後に復刻された。
編集発行人 石川逸子
東京在住の詩人であり、「広島通信」にもたびたび詩を寄せている。
石川氏と大原先生のつながりは不明だが、大原先生のつながり(ネットワーク)には驚嘆するものがある。
広島市立中央図書館には、2冊の『広島通信 復刻版』が所蔵されているが、いづれも禁帯出となっており、館外に持ちだすことだできない。
実は、原本を中央図書館が所蔵しているが、こちらも禁帯出である。複写は可能だが、膨大なページになる。傷みも激しい。日常的に研究に使いたいと思うが、復刻版は、著作権法の関係で、一寄稿の半分しか複写できないのである。これでは資料として使いにくい。
それならいっそのこと、復刻版を入手できないか、古本市場などを調べた。発行当時は2000円だった。今年初めネットオークションに出品され落札されたという記録があるが、今のところ入手するすべがない。
図書館検索で、広島女学院大学図書館、県立広島大学図書館に所蔵されていることがわかった。ここは貸し出し可能ようだ。先日原爆資料館の資料室に立ち寄ったところ、ここに貸し出し可能な「広島通信」があり、借りてきた。
復刻版は原本と違い、字が薄い。さらには複写しようとすると黒い影が映る。700~800ページのコピーは厳しい。
ということで、どなたか「『広島通信ーヒロシマの継承』-全68号の復刻版ー」について、情報(図書館所蔵の情報ではなく、入手可能情報)があれば,是非ご提供ください。ここそこの古本屋にあるよ、とか。だれそれが保有していて、譲ってくれそう、とかの情報はありませんか。
なお、原爆資料館資料室の話だと、
『ヒロシマに歳はないんよ』 ( 佐伯敏子 著 500円)
発行は「ヒロシマ ナガサキを考える会」。
この本は資料館には所蔵されていないそうです。この本の情報もあればお願いします。