福田須磨子の詩とは?~「日本原爆詩集」より

 

 

長崎市長が、平和宣言で福田須磨子の詩を引用するそうだ。

いったい福田須磨子とはどんな詩人なのか?

原爆文学に詳しくないので、軽々に述べるわけにはいかない。

が、書架にあった「日本原爆詩集」に収められているので紹介します。

 

1970年6月に初版。

これは、1976年6月の第9刷。

昔、持っていたのだが、今回、ネット購入。

編纂は「大原三八雄」「木下順二」「堀田善衛」。

今、「大原三八雄」研究をしているので、入手した。

「本詩集は、広島・長崎の被爆から四半世紀をむかえるにあたり、戦争と核兵器の惨禍の廃絶をねがって刊行される」

カバーを外す。

 

P21に福田須磨子の詩がある。

「忌わしき思い出の日に」

直接被爆の状況を書く。

「うめく声・声・声」

出典は『原子野』(1958.3)。

 

さらに「ひとりごと」。

『日本原爆詩集』の編集には、大牟田稔、栗原貞子、杉本春生、田原伯、平岡敬、山田かん氏らが協力している。

編纂は「大原三八雄」「木下順二」「堀田善衛」だが、その殆どは大原三八雄が行ったのではないかと考える。

「被爆いらい25年間の原爆詩を、広島・長崎を中心に全国的な規模で収集したなかから、219編を精選して収録した」

大原三八雄は、広島高等師範学校、広島文理大を卒業して、広島女子商業~埼玉県立川越中学校(旧制)~和歌山県立海草中学校を経て、戦後1950(昭和25)年、広島県立女子短期大学の英文学の教授になった。

英文学者、詩人、教育者、クリスチャンだった大原三八雄は、すべての詩集に目を通したであろう。

1976(昭和51)年、私は大原三八雄と出会った。

出典の「詩集」はどこにあるのか?

おそらく初版本を含め、貴重な原爆文学の資料であったろう。

氏の死去、遺族が広島市立中央図書館に寄贈を申し出たが、断られたという。

 

さて、長崎市長は、どういう観点で引用するのだろう。

長編の引用は難しいだろう。

詩の解釈とか、表現の意図とかどのように理解したのだろうか。

 

まぁ、広島市長には無理なことだろうが。