Yahoo!より転載。

 

古市憲寿氏「古典の授業が無駄」議論に私見「外国語よりも有益なのか」カンニング竹山も「めっちゃ分かる」

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スポニチアネックス

古市憲寿氏 公式インスタグラム(@poe1985)から

 社会学者の古市憲寿氏(39)が28日、自身のSNSを更新し、「古典の授業が無駄」という議論に対して私見を述べた。

  古市氏は「『古典の授業が無駄』といった議論に反射的に反論するひとって、授業時間が有限だということを忘れがちだよね」とつづり、「そりゃ時間が無限にあれば古典でも何でもすればいいけど、それはたとえば外国語よりも有益なのか。あと反論するひとたちが、どれだけの古典に関する教養を持っているかを知りたいところ」とした。

  また、「みんな教育に期待しすぎだと思う」とし、「この国の高校卒業率は約95%だけど、大人を含めてみんなで大学入学共通テストを受けてみたら、平均何点くらいになるのか。たぶん悲惨な結果になると思う。結局、日常的に使ってる知識以外は忘れていくし、逆に必要となれば何歳からでも新しいことは学べる」と私見をつづった。

  古典の授業に関しては、25日放送のTBS「ドーナツトーク」でも話題に。お笑いタレントのカンニング竹山が「役に立ったこと1回もない」と話した。「なくしたい無駄な時間」として古典の授業が挙がると、竹山は「めっちゃ分かる。高校生のときから思ってた」と共感。「今年で53歳のおじさんだけど、未だに古典が役に立ったなと思ったことが1回もない」と述べた。出演者からは「受験とかに必要」「面白い瞬間もあるかもしれない」との声が。竹山も「興味ある人もいる」とフォローを入れていた。

 

以上、転載。

 

古市氏、カンニング竹山氏、私には「終わった人、過去の人」です。

「古典の授業が無駄」か?

50年前、古典の授業には苦労しました。

中学校の国語で齧ったとはいえ、なかなか漢文などは難しい。

そもそも生活にない、馴染みがない。

現代語とは別は言語のように思えた。

では「無駄」だったか?

そうは思えない。

今でも「平家物語」の一説は覚えている。

「判官びいき」という言葉は、「判官(はんがん、ほうがん)」という古語を知っていれば、理解ができないか?

平家物語の「判官」は、源頼朝の弟の源義経を差す。

「那須与一」の光景は目に浮かぶ。

屋島に行けば、平家物語とつながるし、関門海峡では平家の終焉を想起する。落人が九州山地に逃れて行く・・。

高校時代の古典が無駄だったというなら、大学時代の授業は役立ったか?ほぼ覚えていない。果たして無駄だったか?

高等教育、とりわけ高校の授業が学者・研究者を育成することを主眼にしているだろうか?

最近、『藝州碑文集』の興味を持ち、解読しようとしているが、最大の”壁”が漢文。碑文集のほとんどが漢文だ。大正10年出版。

困り果てて、広島県立文書館に解読のサポートをしてもらった。

50年前の「古典」の授業を思い出した。

高校時代の「古典」をきっかけにして、日本の古典に興味を持ち、研究者になる人もいるかもしれない。

私のように、シニアになってから、古典(漢文)を通して歴史、家族史を調べる、その入口を提供するツールではないか?

思うに、明治・大正時代の軍人、政治家、実業家の多くは元士族。古典が素養として理解できた(読めた、書けた)のだと思う。