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徳川夢声が憤った原爆 小説に込めた思い 「カツベン」後輩が継ぐ
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広島市の平和大通りにある桜隊の碑。説明板には建立に尽力した徳川夢声の名が記されている=広島市中区で2022年9月30日午前8時54分、宇城昇撮影
かつて「話芸の神様」として一世を風靡(ふうび)した活動写真弁士(弁士)がいた。俳優や文筆家でも知られた徳川夢声(むせい)(1894~1971年)だ。彼は戦後間もなく、広島原爆にまつわる短編小説を発表していた。その作品を読み継ごうと、現役の弁士、片岡一郎さん(45)=東京都=が昨年から朗読会を開いている。今改めて届ける思いとは。
広島に米軍が原爆を投下してから78年となる8月6日、東京都内のイベントスペースで朗読会が開かれた。作家の吉岡忍さんや、夢声の孫など約15人の観客を前に、片岡さんは夢声の短編小説「連鎖反応 ヒロシマ・ユモレスク」を約1時間かけて披露した。
主人公の鉄道職員、吉川右近は45年8月6日、広島駅近くの鉄道病院で被爆。何が起こったか分からないまま、鉄の欄干があめのように曲がるなどした焼け野原をさまよい歩く。気づけば自身も血だらけでガラスの破片をかぶった状態。なのに、頭の中では「これで嫌な縁談も自然にご破算になるだろう」と考え、戦争を始めた人間を「余程(よほど)のバカ」と切って捨て「バカは死ななきゃ治らない」と浪花節の文句で嗤(わら)う――。
一見、のんきにも見える虚無的な主人公と周囲の凄惨(せいさん)な光景とのギャップ。皮肉や諧謔(かいぎゃく)を交えた描写が、日常を一変させる戦争や原爆の悲惨さを際立たせる。
「連鎖反応」は、広島原爆で親友を失った夢声が50年に発表した。当時は連合国軍総司令部(GHQ)の事前検閲こそ廃止されていたものの、原爆被害の報道が厳しく自主規制されていた時代だった。
島根県益田市出身の夢声は、もともと広島と縁は無かった。だが、親友だった新劇の名優、丸山定夫が、移動劇団の「桜隊」の隊長として広島滞在中に被爆し、劇団員9人全員が死亡。夢声は後年、自らが呼びかけ人の一人となって東京と広島に桜隊の慰霊碑を建立したほか、原水爆禁止運動にも参加するなど、反核に強い思いを持って行動した。片岡さんは、友人を失った衝撃と悲憤がリアリストの夢声をしてそうさせたのだと推し量る。
夢声は大正時代から戦前にかけ、独自の語り口で弁士として人気を博した。映画がトーキーに移行すると、漫談家や俳優で活躍し、NHKラジオでの「宮本武蔵」の朗読は「話芸の神様」の地位を確立する代表的な仕事になった。文筆家として直木賞候補にもなるなど「マルチタレント」の元祖とされる。
一方、片岡さんは東京都出身で、全国に十数人とされるプロの弁士の一人として、国内外で公演をしている。周防正行監督の映画「カツベン!」(2019年)では、出演者の活弁指導を担当。NHK大河ドラマ「いだてん」にも弁士役で出演した。映画史研究家の顔を持ち、弁士の歴史をつづった「活動写真弁史」(共和国)の著書もある。
「連鎖反応」と出合ったのは15年ほど前。「徳川夢声の小説と漫談これ一冊で」(09年、清流出版)の刊行に携わったことをきっかけに読んでみて「極限状態に置かれた人間の心理がよく描かれている」と強い印象を受けた。
「後輩弁士としていつか自分で朗読してみたい」。その思いは22年8月、福岡市の市民団体が企画した朗読会で初めて実現した。翌9月には広島市でも開催。約30人の観客には被爆者もおり、「実際に体験された方がいる場所で朗読することは怖かった」と片岡さん。だが観客からは「こんな切り口の原爆小説があったのかと驚いた」との感想や質問が相次ぎ、反応は上々だった。
朗読会は折しも、ロシアがウクライナ侵攻を始めてからのこと。ロシアは核使用をちらつかせて威嚇をいまだ続ける。片岡さんは「夢声の小説には核の戦争利用に対する静かで深い怒りが込められている」と話し、「原爆を知る方々が亡くなりつつある今、創作と事実が絡み合い、かつ娯楽性も備えたこの小説は読み継ぐ価値がある。原爆小説のスタンダードとして認知されるまで朗読を続けたい」と語る。
11月11日は「原爆の図」を展示する丸木美術館(埼玉県東松山市)、同25日は福岡市東区の「箱崎水族館喫茶室」で朗読会を予定。学校や図書館などを会場にした朗読会の企画依頼も受け付けている。片岡さん(syoseibusi@yahoo.co.jp)。
◇ 活動写真弁士 無声映画の上映中に、スクリーンの脇でセリフや情景を語る映画説明者。無声映画全盛時代には、各映画館が専属の弁士を抱え、国内に約8000人の弁士がいたとされる。見る映画を俳優や監督ではなく弁士で選んだとされるほどで、弁士の引き抜き合戦もあったという。音付きのトーキーに移行後はほとんどの弁士が廃業し、現在は全国で十数人が活動する。
【上村里花】