ヒロシマを証言する!新井俊一郎さんの被爆体験証言~2022.9.13

 

2022年9月初旬撮影。

 

 

【You Tubeの説明文】

2022年9月13日撮影。新井俊一郎さんは、1931(昭和6)年11月生まれ。広島高等師範学校(現・広島大学)附属中学校1年の時、疎開していた賀茂郡(現・東広島市)から学校へ向かう途中、原爆投下。爆心地から約1.3kmの母校(東千田町)は跡形もなく破壊。新井さんは入市被爆、「静かだった!」という言葉が印象的でした。翌日から高熱や吐き気で寝込みます。その後、広島大学へ。卒業後はラジオ中国(現・中国放送、RCC)に入社、ディレクターなどを務められた。10年前より被爆体験証言者として活動、ここ何年間はがん手術や体調不良で入退院を繰り返しておられる。元々は、本土大空襲、決戦に備えて、軍事重要施設を守るため非延焼地帯を東西に貫こうという計画。中学二年以上は、すでに工場などに動員されていたため、建物疎開には1945年7月から中学一年生が担わさざるを得なかった(原森さんの原文参照)。今年8月6日(土)、NHKスペシャル「原爆が奪った”未来”、中学生8千人・生と死の記録」は、8,000人にうち6,000人が犠牲に、新井さんは6,300人と言われていました。

しっかりとした声で、2時間ほど証言していただきました。

市内に入ったとき、”静かだった”と言われていました。

 

私は、16歳の時、交通事故に遭い、2年間入院、その間1年半は寝たきりで、(ベッドから降りることはできませんでした。胸から足先までギプスをしていたことも。

昨日、10月13日は、その日でした。

田んぼの中に投げ飛ばされて、気付いたときは、右脚は大変なことになっていました。

救急車のサイレンの音が聞こえてきたのは、数十分後❔一時間後か?

サイレンが聞こえるまで、とても”静か”な時間が流れました。

人間は、非常に衝撃的な状況に遭遇したとき、”静かだった”と記憶されるのではないか、と思います。

被爆者の平均年齢は80歳を越え、確実に体験者、特に記憶は鮮明な体験証言を聴く機会はほぼなくなってきています。

広島市では、”被爆体験伝承者”という制度で、被爆者の被爆体験を”継承”する取り組みがあります。

しかし、入市被爆とはいえ、その”時”の体験証言は非常にリアルで、衝撃的です。