「『シン・ゴジラ』の公文書重視が今見るとファンタジーという話題」「それはモデルの民主党政権が今見るとファンタジーってだけでしょ」

 

「法華狼の日記」より転載。

 

「『シン・ゴジラ』の公文書重視が今見るとファンタジーという話題」「それはモデルの民主党政権が今見るとファンタジーってだけでしょ」

 

現在の安倍政権の遅い対応について、民主主義のため効率の悪い文書主義を採用しているという会話を映画『シン・ゴジラ』から引用している

しかし第二次安倍政権において公文書がたびたび隠蔽されて、時には改竄がおこなわれてきたことを思うと、あまりに的外れな弁護と思わざるをえない。
そもそも『シン・ゴジラ』は東日本大震災をモデルにした怪獣映画で、ゆえに取材した対象も当時の菅政権だったことがエンドロールでも明らかにされている。

ちなみに東日本大震災における民主党政権も議事録を作成しなかったが、それは前例を踏襲したという側面が大きかったとされる。
事実として東日本大震災から1年以内、首相が交代しつつ民主党政権がつづいていた時点で、議事録不作成の検証と報告がおこなわれている。
https://www8.cao.go.jp/koubuniinkai/iinkaisai/2012/20120425/20120425torimatome.pdf
たとえば緊急災害対策本部について、既存のガイドラインに違反したとはいいづらいこと、議事録とは別個に情報公開そのものは積極的だったことがうかがえる。

行政文書の管理に関するガイドライン(平成23 年4月1日内閣総理大臣決定)別表第1の6(関係行政機関の長で構成される会議の決定又は了解及びその経緯)の具体例にも、議事録又は議事概要は挙げられていない。

内閣府では、従前から、記者会見や「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震について」(いわゆる緊急災害対策本部報)の作成・公表により、本部の開催状況、本部での総理等の指示、決定事項なども含め、随時情報を公表している。また、緊急災害対策本部報には、被害情報等で事後的に不正確だと判明した情報を除いて、ありのままの情報をスクリーニングせずに掲載している。

 

もちろん民主党政権にもさまざまな問題があったし、上記のような東日本大震災の対応も結果としてでも批判をまぬがれないとは考える。
しかし議事録の作成を不必要と主張して、事後の検証をこばみつづけている現在の政府与党は、野田政権とすら隔絶している。

文書主義は民主主義と同一ではない。
しかし一見して効率が悪く感じられたとしても、情報を残して未来に向けて公開することで、後世の歴史家から審判をあおぐことになる。
もちろんここでいう歴史家とは専門家にかぎったことではない。情報を見て、考えをめぐらし、選択する人間すべてを指している。
その審判を意識せざるをえなければ、たとえ資質がない政治家であっても、対応に全力をつくすようせまられていく。
たとえ安倍晋三氏が善良で有能な政治家であったとしても、誰にも尻を叩かれない現状では堕落していくしかない。