NHK広島放送局アナウンサーのこと。
14日(土)の昼前、NHKラジオを聴いていたら、あれ?どこかで聞いたことがあるアナウンサーの声でした。
確か彼は関西の方で勤務しているのでは?
調べてみると、大阪放送局アナウンサーでした。
HPで公開されているので、名前を出してもいいでしょう。

出山知樹アナウンサー。1969年生まれ。
映画監督、映画プロデューサー。
広島には2015年4月~2017年6月。
若い頃、広島に勤務していたときに、ヒロシマの心に触れ、自主映画を制作し、発信している。
東広島市で行われた上映会に行き、彼と話したことがあった。
驚いたのは、映画で被爆者を演じていた女性は、F中学校で同僚だった知り合いだったこと。劇団に参加していると聞いていたが。
昨年だったか、横川シネマで行われた市民劇団の上演には、ご夫婦で参加されていました。
ヒロシマを発信するアナウンサーがいることは貴重です。

実はNHKテレビニュース(広島)に出たことがあるのです。
広島に来たとき、学部の半地下にある「平和科学研究センター(当時は準備室?)」に出入りしていた関係で、英文学者で詩人の大原三八雄先生(当時は広島工業大学教授)の「広島通信」の手伝いをしないかと誘われました。
ボランティアで、先生から送られてくる原爆や核廃絶、平和関係の新聞記事を日付を追って整理していました。4年間ほどして、学部の後輩にバトンタッチしました。後輩は後に京都で校長になっていました。

私のことを聞き付けたのか、NHK広島放送局が、小汚ない木造アパートまで取材にきて、地域のニュースに流しました。
当時はアナログテレビで、手持ちのカメラで撮しましたが、うまく撮れていませんでした。

退職後、知り合いのアナウンサーがいたので挨拶に行きました。アナウンス専任部長だったT・K氏は多忙な中、下まで降りて来てくれました。彼がいるうちに、ビデオテープが残っているか確認したかったのですが、6月で首都圏放送センターに移動になっていました。
個人的なことに対応してくれるとは思いませんが、彼も以前広島勤務でした。

知り合ったのは20年以上前です。
「康寿窯」というところに数年通っていたのですが、彼もそこに来ていました。
週に1回、私はひたすら手捻りで抹茶茶碗を作っていました。1か月に、10枚ほど作陶しました。

自宅に窯をかまえました。今はできる状態ではありませんが、何とかもう一度、作陶に取り組みたいものです。
井戸茶碗をもう一度ひきたい。