やっと、というよりぎりぎりでイヴサンローラン,観て来ました。
もう上映映画館も少なくなっており、今日までという場所で。
滑り込みにも近い感じ。
思わず貸切??のような6人ほどしかいない映画館でしたが
かえってゆっくり観れたかな・笑。
こういう映画はなんだか一人ゆっくり観るのがすきだったりして。
イヴはフランスの植民地のオランアルジェリア)で、保険会社で働く
中産階級の両親の家庭に、1936年8月1日11時15分に生まれた。
子供の頃パリに引越し、1953年17歳の時にパリの
Chambre Syndicale de la Haute Couture ファッションデザイン学校に入学。
IWS主催のデザインコンクールのドレス部門においてカクテルドレスを発表
し最優秀賞を受賞。
そのカクテルドレスの縫製はユーベル・ド・ジバンシィで、またその時の毛皮
部門の受賞者はシャネルのデザイナーであるカール・ラガーフェルドであった。
ディオールとの出会い
この時の審査員であったVOGUEのディレクター、
ミッシェル・デブリュノフは、無名の若い少年のポートフォリオを初めて見た時、
新作として発表している友人のクリスチャン・ディオールと同じA-ラインの線を
描くイヴに驚き、すぐディオールに紹介した
そして、独創的かつ想像力に富んだ彼のデザインは、ディオールに非常に
強い感銘を与えることになる。
1957年10月、ディオールは自身のスタッフに「ここにある30のデザインは
イヴの仕事に基づく私の最新のデザインであります。
彼は特別な才能です。私は彼に認められたい」と言い、次のコレクションで
イヴを連れ出すと言い出したという。彼のスタッフはイヴがまだ若かったので、
「もう少し待たなければならない」と言った。
だが、それが同年のディオールの死によって現実のものとなる。
イヴは21歳でディオールブランドを財政的な破滅から救うために主任
デザイナーとなり、大きな力で仕事を始める。
1962年神経衰弱の完治とともにディオールを去ったイヴは、芸術後援者で
恋人のピエール・ベルジェPierre Bergé)の出資により自身のレーベル
「イヴ・サンローラン(YSL)を設立。数々の偉業を達成して・・
2008年71歳にて死去。
サンローランという草分け的人物について、彼らの半世紀を振りかえる
物語。ベルジェは1990年代にファッション界が商売人の手に渡って
いった変化について語り、サンローラン本人は自分の時代を完璧に理解
していて、それを全く気にすることはなかった。20世紀においてのYSLの
マークの偉大さ、そしてサンローランの死が、彼に会ったことの無い観客
にも大きく残ること、これこそがこの映画の効果。
(関連サイトより)
限りなく繊細で、偉大な芸術家でもあるイヴサンローランという人間像が
とても詳細に語られていた物語でした。
華やかな世界に存在しながらもずっと苦悩と一緒にあったというストイック
な場面も詳細に語られていて、創造するということへのエネルギーは簡単に
言い表せるものではないという印象です。
50年もの間、パートナーだったピエールにより語られる、舞台裏を含んだ
アーカイブはとても映画?らしくないようなドキュメンタリーでした。
二人が長年にわたり集めた美術品の数々もまた凄いもので、
まるでひとつの美術館のようでした。
それにしても44年もの間、ひとつのことに没頭していくということ。
天職という表現もありましたが、本当にデザインする為に存在していた人
なのだと実感しました。
別の視点からは、50年間支える愛というものについても、また凄いなと
・・・思いながら観ていました。
これは映画に関係ないのですが、以前に雑誌にも掲載されて
いた日本に滞在した際の写真で・・個人的になんだか好きな
写真だったので・・掲載してみました^^。
思わず・・後ろ~の席に思いっきり寝にきたと思われるおじさん?
がいらして、「ぐぉ~、ぐお~」のいびきにはちょっと世界から
引き戻される感がありましたが・・・・笑。。
本日も素敵な1日を。
公式サイト
http://www.ysl-movie.com/