「国語力」とは結局何なのか?② | 進学教室FiveSchools OFFICIAL BLOG

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続きです。

 

前者の幅広い意味での「国語力」育成を、ぜんぶ国語教師・国語講師の仕事だと思われると、国語担当者としてはちょっと困ってしまうんですね。

Twitterで国語力うんぬんで揉め事が起こるときはだいたいこういうパターンです。

 

もう一度図を見てみましょう。

 

この図に書いてあるのはわたしが思いつきでサラッと書いたものしか入ってないですから、現実の「日本語を用いた活動」ってもっともっと多様で幅広いものです。

 

で、これを全部国語教育、国語教師で面倒見ろと言われたら

「無理に決まってるだろそんなもん」

 

と返すしかないですよ、さすがに。

というか、契約書とか説明書の見方とかって「本来家庭科で教える領域では」とも思いますし(今でもクーリング・オフとか扱いますよね?)、そもそもそれって学校で教えるようなことなのか?

と疑問を持つ方もいることでしょう。

 

授業時間には限りがあるし、教師の専門性も無限に広げられるものではありません。

やれるリソースには限りがあって、その中でどういう教育がよいのかを検討せねばならない。

 

英語もそうですよね。

4技能4技能と言うだけ言って、教師のリソースと専門性、授業時間の有限性についてどれだけ考えてるの?

と言わざるを得ない。

そのリソース確保について無策なまま4技能を進めたところで

「4技能を追う者、1技能をも得ず」

になる(すでになっている)のは明白です。

 

この調子だと、国語教育も英語教育同様

「社会からの要求だけは増え続け、リソースはまるで無い」

という状態に陥るんじゃないかなぁ、と危惧しています。

 

若干話が逸れましたが、つまり前者の幅広い意味での「国語力」は、どう考えても国語教師だけが責任を持って育てられるようなものじゃない、ということが言いたいんですね。

他科目の教師や家庭などなど、うすっぺらい言い方ではありますが

「社会全体で育てる」

ものに他ならない。というか、それしかやりようがない。

 

しかしです。

 

このように主張すると、

 

「じゃあ、国語教師が責任を持って教えるべき『国語力』とは何なのか?」

「国語教師の専門性、存在意義はどこにあるのか??」

 

という反論も出てきそうですよね。

 

もっともな話ですし、この反論に対して誰もが納得するすっきりとした答えを国語を教えるわれわれが社会に対して出せているかというと、明らかにNoでしょう。

「国語を教える人間はどの領域の、どのレベルまでを自らの責任として担当すべきなのか?」

わたしも明確にコレだと答えられるわけではないんですが、

「コレが国語教師が持つべき専門性なんです、少なくともわたしはそう思います」

と主張できるだけの理論武装はしたほうがいいんだろうと感じることが最近多いわけです。

「選択肢の切り方テクニック」が今後求められる国語力でないことは明白だと思いますけどね。

 

(つづく)

 

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