昨日までのあっこしゃんへの怒りは、もう収まりました。
自分の脳内を、変換することにしました。
あっこしゃんは、小学生なんだから。
そう、思うことにしました。
あっこしゃんは、小学生なんだから。
そう思えば、不思議と、彼女が何を言おうと、何をしようと、
腹も立ちません。
気持ちが、ぐっと楽になりました。
あっこしゃんのボケは、今まで笑いの元でもありました。
それが、笑いどころか、怒りを引き起こすものになった。
そして、苦しくなった。
現実は、変わっていないけれど、どうとらえるかによって、
私の気持ちは苦しくなったり、楽しくなったりする。
昨日父の病室に行き、点滴の管をさされて身動きも
自由にできない父を見たときも、この状態は、
可哀そう
であると同時に、
滑稽
ともとれる。
自虐ネタがたくさんできそうだ。
と思ったのです。
どうせ変わらない現実なら、「可哀そう」よりも「滑稽」を
選んで、笑うほうがいいんじゃないか。
そう思えたんです。
良い意味での、開き直り、とでもいいましょうか。
固い心がほぐれました。
肩の荷が下りた気分でした。