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メタフィジカルコンサルタント三岬 奈央オフィシャルブログ

インド占星術・シヴァの葉・天文地理術を活用して運命をコントロールするメタフィジカルコンサルタント三岬 奈央の公式ブログです。

 


帰国後「バルド・オブ・ビカミング」~ 魂の旅 ~を読んだ。


衝撃的だった。


まるで自分が死後の世界、

バルドで疑似体験している気分になった。


読み終わりしばらくその世界から抜け出せなかった。



 

 

 

思えば1993年、

NHKのスペシャル番組『チベット死者の書』という

キュメンタリーを見たときからこの流れはある。


初めて見る秘境の世界。

そこにある死という逆転の概念。

最後の雪山の場面で僧侶が小僧に伝える。



 

 

 

誕生のときには、あなたが泣き、全世界は喜びに沸く

 

死ぬときには、全世界が泣き、あなたは喜びにあふれる

 

かくのごとき、生きることだ

 

 

 

この言葉が頭から離れない。


番組を録画し、ビデオテープが擦り切れんばかりに

何度も繰り返し見た。

 

 

 

マイナヴァティと出会ったある夏の朝。

私の顧客から家族の死の連絡があった。


当時高校生だった息子さんの溺死の知らせ。


そのときわたしは日本にいたので、葬儀に参列すべく準備をしていた。


すると、昼と夕方に別の知人からも身内の【死】の知らせが届いた。


「きょうという日は、いったい・・・」その対応に追われ、

ホッとひと息ついたその夜、さらに別の友人から

最後のとどめのメールがきた。



 

 

 

「・・・旦那が自殺したの」


「!!」


もう卒倒寸前。


朝からこれで4人目。

そのときわたしの眼力はそうとう弱っていたのだろう。


メール内容に目を凝らすと、「【となり】の旦那が・・・」と。

へたり込んだ。

 

 


 

これは何らかの【徴】(しるし)である。


以前から身内の死に直面された方に

「チベット死者の書」の本を読むよう勧めてはいた。


しかして死は突然訪れるもの。


「そのとき」ガイドブックが手元にないと、葬儀の準備で本など

入手しているヒマはない。わたしの本を貸す。

が、今回は4冊必要。足りない。

 

 

 

わたしはその筋の専門家でもなければ、

教えを請うている師がいるわけでもない。


強いて言えば、うちのNPOで支援している施設に

チベット僧運営の学校があるくらいだ。


死について不明な点は、その僧侶に聞くことにしている。

 

 

 

 

 

その半年後、2009年1月。朝刊を読んでいた母が

「あなたの好きな【チベット死者の書】が載っているよ」と、

新聞広告の記事を切り抜いてきた。


目に入ったのは


【「もののけ姫」をつくりながら、仕事場の片隅で、

何度も何度もくりかえし観ました・・・ 

アニメーション映画監督 宮崎 駿】


という文字。


ジブリ館から出されるNHK番組「チベット死者の書」の

DVD発売の記事だった。

 

 

 

世界のジブリ館から【死】の教えが

「学術ライブラリー」として提供される時代となったのである。

 

 

 

さらにその年のアカデミー賞に日本の

『おくりびと』がノミネートされたことも、

より真剣に死と向き合う姿勢が整うきっかけとなる。

 

 

 

どうしたら【魂】の旅をわかりやすく理解でき、

その心構えができるのだろうか。


そんなことを考えているときにやってきた本が

「バルド・オブ・ビカミング(再生のバルド)」。


ストーリー仕立てになっている「魂の旅」物語である。


臨場感あふれる死後の世界を描く、とてもエキサイティングな本。

さっそく著者にこの話を持ちかけた。

 

 

 

日本で入手できる「チベット死者の書」関連の書物は、

経典の直訳かチベット仏教精通者向けの解説書がおもで、

わたしのような凡人には難解なものばかりである。


日本は仏教国といえども、ほぼ欧米化されている現代である。

 

 

 

そんな折衷文化を持つ日本人には、

西欧人向けに記した彼女の本がちょうどいいかもしれない。


厳密な経典とも異なり、されど「死んだら終わり」という

西洋の終末論的死生観でもなく、

東西融合の絶妙なバランスがいい。



 

 

 

これが、この本を翻訳出版するようになった経緯である。

 

 

そんな矢先の2011年、俗にいう3.11が起こる。



つづく…
 


そもそも最初から日程に、

バンガロールでのセミナー参加はなかった。


南インド滞在中、その情報が入ってきた。


テーマは「ヨギが語る2012年のアセンション」。

題名にそそられ予定を変更することにした。

 

 

 

セミナー2日目、朝食を摂っているわたしのテーブルに、

ひとりの年配の方が座った。


粋なサリーをまとう透明感ある色白の女性。


参加者50人ほどの小セミナーに外国人などいないと

思っていたが、どうみてもその女性はインド人ではない。


「どこから来たのか?」彼女がわたしに聞く。


「日本」。「で、あなたは?」聞き返すと彼女は

「プッタパルティ」と答える。


「えっと・・・ それはインドの地名ですよね、出身国は?」

と問い直す。


「スコットランド」。英国人か。

 

 

 

そのとき彼女が「どこから?」の問いに、

なぜインド地名を答えたのか不思議だったが、

話していくうちに謎がとけた。

 

 

 

この女性がこの本の著者、マイナヴァティである。

 

 

 

お互いの素性がわからぬまま話を進めていると、

彼女は16年間インドに住んでいることがわかった。


それで「どこから?」にインド地名を答えたというわけだ。


彼女は彼女で、わたしがこの類いのセミナーによく

参加している常連だと思い「わたしの書いた本がセンターの

図書館にあるが、読んだことはないの?」と聞いてきた。

 

 

 

本を執筆しいているほど、その筋に詳しい方なのかと驚く。


どんな本なのか聞いていくと聞き慣れない言葉を耳にする。


「バルド・オブ・ビカミングBardo of becoming(再生のバルド)」。

 

 

 

ヒンドゥーの国インドで、チベット仏教の教えにある

「バルド」という言葉を聞く違和感から、題名を何度も聞き返した。


他の本はいかにもインド的なのに、

その本だけなぜチベットなのか。

 

 

 

すると彼女は、

自身がインドに滞在することになった経緯を語りだした。

 

 

 


スコットランドで公務員として長く務めていた彼女は、

勤続20年で公務員に附与される1年間の休暇を

利用して訪れたのが、インドのダージリン。


言わずもがな、チベット僧が多く住まう地。


そこで彼女は、いわゆる霊的に【覚醒】してしまい、

身体が崩れほぼ立てない状態で病院に運ばれた。

 

 

 

霊的体験だけが先行し、自身に起こった状態が

理解できないまま生死をさまよった。


国に帰るに帰れなくなった彼女を救ってくれたのが、

チベットのリンポチェ(高僧)だった。


「あなたはもう自国には帰れません。そのような身体になって

しまったのです。この地で暮らしなさい」と。


そのときの体験がこの本のベースとなっている。

 

 

 

そのときから彼女の霊的探求は始まった。


ありとあらゆる聖者から ― 宗派関係なく― 教えを請い

学び続けている。なんだか不思議な方と出会ったものである。


2日目のセミナーではヨギのワークショップそっちのけで

彼女と話に夢中になった。




つづく…




それを手にして5年目、世に出したい
ある洋書の翻訳を手がけている。

インドのとある場所で知り合った英国女性の貴重な本。

「Bardo of Becoming」~ 魂の旅 ~

読んだのは遠いはるか彼方の過去のような気もするし
つい最近のような気分でもある。

いままでにない不思議な感覚になる、神秘な物語。

わたしと著者マイナヴァティとの出会いから
はじまる「ものがたり」をまずお聞きください。


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~はじめに~

2008725日午後、

インドのバンガロール(現ベンガルール)の市内中心部8カ所で、

連続爆弾テロと見られる爆発があった。死者は2人、負傷者は7人。

毎年インドに訪れるわたしは、よくテロや爆発ニュースを

耳にするが、このときはまさにそのテロ現場地区に居合わせた。


ホテル内にいたわたしは、外のサイレン音が騒がしく、

いぶかしく思っていた。その数時間後ニュースを見た北インドの

友人からあった電話。


「大丈夫ですか? たった今、そこバンガロールで爆弾テロがあったようですよ」


「!」

それでやかましかったのか。


いつもなら「またか」でやり過ごすところだが、そのときは違った。

翌日バンガロール郊外で催されるセミナーに参加予定だった。


テロ直後の市内は騒然とし、ホテルでは滞在客に外出しないよう

注意が促されていた。


「こんな状況で明日のセミナーは決行されるのか? 

それより会場に行く交通手段はあるのか?」


少々心配になった。

主催者にセミナー開催有無を問うた。


返答は「開催しないという理由がどこにあるのか?」

たとえ目の前でテロがあろうと、決行しますよと言わんばかりの

インドらしい言葉。あっさりしたものだ。



10人近い死傷者が出たというのに、

夜には何ごともなかったかのような静けさに戻っていた。


翌日のタクシーを手配すべく、ホテルのカウンターに向かった。


マネージャーからは、テロ直後で何があるかまだわからないので、

ホテルお抱えハイヤーを使うようにと。


しかして料金は、一般タクシーの5倍。


セミナー主催者とホテル側との対応の違いに戸惑う。


テロという恐怖心を扇いで外国人に安全という名のバカ

高い乗り物を勧めているのかとさえ思えたが、

訪印歴長しといえど、爆弾直後に慌てて問い合わすほど、

腹が据わっていないわたし。


インド気質にはまだほど遠いことを鑑み、

ホテル側の提案に沿うことにした。






つづく…