生と死は表裏一体である。
昼夜、上下、男女のように切り離せないもの。
それは横糸・縦糸のごとく一枚の織りなす布である。
それがセットで「人生死脚本」となる。
その脚本スタート時が「生」ではなく、
「死」からだと知ったなら、続いている脚本途中に
【誕生】が組み込まれていることが理解できる。
その通過時点(誕生以降)で何らかの手を加えるより、
舞台一幕目(死の直後)から真摯に取り組むことで、
脚本がある程度コントロール可能なものになる。
とはいっても、実際、漠然としている【死】の
実態がつかめないと、直視することはできない。
端的にいえば、死ぬことは、
自身の中にある深い意識に入り込むということ。
どこか未知な、はるか彼方に黄泉の国が
待っているわけでも、
特別な世界があるわけでもない。
とわたしは認識している。
生前、毎日付き合っていた
「意識」の領域が深まるというだけのこと。
それは氷が水になり、水蒸気になっていく
三態変化のようなものである。
成分はまったく変わりないが、
動ける範囲の自由度が異なる。
よく、身体を失う危機的状況に陥ると、
瞬間深い意識に入り込むという。
そのとき「過去の出来事」すべてが映画のごとく
走馬灯のように展開するのだと。
そう。深い意識に生前の行いすべてが蓄積されている。
だから見たくない場面も直視せざるを得なくなる。
この見たくない場面というのが、
主人公ポールが経験する、「死後の審判」である。
つまり、この本を読むと生で経験する意識と、
死後のそれとはなんら変わらず、メビウスの輪のごとく
連続していることがわかる。
どこかでそのことに気づかない限り、
延々と同じ場面をくり返すことになる。
では、それをどこで気づき変化させるかというと、
意識の自由度が高まった死後直後が
大いなるチャンスである。
流動的中間状態バルドでチャレンジするのが
もっとも効率いい。
この本が【生死】と真剣に向き合う
きっかけになれば幸いである。
死というものを理屈上だけでも知ることができれば、
真剣なテーマではあるが、深刻なものでも、
ぼんやりしたものでもないことがわかる。
そして次は準備段階に入る。
「死の準備」なんて縁起でもないと考える必要はない。
「自然体」「宇宙リズムで生きる」こと自体が
死の準備といえよう。
当たり前のことを当たり前にやる、それだけ。
では何が「当たり前」のことだろうか。
この本は、それを教えてくれている。
何回もくり返し読む価値のある、
貴重なエッセンスがちりばめられている。
完
ファイブカラー 三岬 奈央
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