こんにちは。
ファイブカラー 三岬 奈央です。
☆道具は賢く使うのも
インドに通いはじめの頃。
英会話もままならぬわたしは、
日本人の英語通訳を連れて渡印していた。
その後、経費節減にと日本語の話せるインド人を雇った。
そのうちインド流に慣れてきたので、
言葉よりもいかにインド人と上手くやるかが重要だと分かり、
一人で行くようになった。
英会話などできなくともなんとかなった。
共通する専門用語で会話は成り立つし、
あとは全身で自己表現すればいい。
ここまではよかった。
しばらくして専門用語が通じない
”チャリティ”などやり始めてしまったから、さあ大変。
施設に赴くと、
理事やボランティアにきている各国の人たちと、
日本の情勢、世界の政治・経済、福祉のあり方に
及ぶ話をすることに。
極めつけは、精神病を抱える子どもをケアする
カウンセリング・センターへの支援。
メンタルケアに必要な専門用が飛び交う会話に
手も足も出ない状態となった。
そこで一念発起し英会話を学ぶことを決意。
しかし、時間のないわたしの生活にどのように
「学ぶ」ことを組み込めばいいのか。
こんなときに活用するのが、シヴァの葉のプラシュナ。
5つの質問に即答する章である。
「英語学習に最適な場所・ひと・やり方を教えてほしい」
と問うた。
その回答は・・・
「英語の学習はする必要ない!」
は? どういうこと。
唐突な回答に理解不能となる。
その後に続く回答はさらに、しっくりこなかった。
「おまえがやろうとしていることに言語が必要か?
イエス・キリストもブッダも、アガスティア聖者でさえ、
なにかを伝えるときにその土地の言語で伝えたか?
純粋な『想い』があれば、単なる“手段”である言語に
なぜこだわる必要があろうか!」
まったく予期せぬ答えに面食らった。
思わず「キリストやブッダと同じにしないでよ」と口走った。
とにかくシヴァ神は厳しい。
こんな調子でいつもわたしを導く。
英語学習の『やり方』を訊いたのに、
それ以前の『あり方』を問われ、諭された。
違和感あった回答だったが、この時点で
わたしの英語コンプレックスが吹き飛んだのは言うまでもない。
英語は学ぶのではない。
必要だから自然に身に付くものだと。
子どもが言語を覚えるのに、「学ぼう」という姿勢はない。
周囲の状況を把握するため必死で吸収しているに過ぎない。
『手段』とは『道具』のこと。
道具は“使う”ものであって、
使われていたのではショウガナイ。
ナディ・システムである葉の予言書も、
やはり『道具』である。
目的地に行くとき使う便利な地図のようなもの。
それも開いた時点に存在するカルマの地図。
時か経てば、道路状況が変わり、
周囲の建物も様(さま)変わりしているかもしれない。
自己の人生に変化があるたび葉を開示するという
インド人は、プララブダ・カルマ(今生の宿命)の
範囲内で変わりうるクリヤマナ・カルマ(運命)という
自由意思があるのを知っている。
道具は使いよう。
その道具に縛られぬよう、自由自在に生きることが肝心だ。
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☆ファイブカラー☆
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