会社を辞めて現在の働きをスタートして11年になりますが、最初の10年は、電気が消えたり、ガスが止められたりするのはいつものことでした。親しい友人の死や病、貧困、そして自分自身の心に光があたり絶望に追いやられる時もありました。みことばに従うということばを良く耳にしますが、苦悩のうちにあってはみことばを食べることでしか自分自身が保てないのです。「私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。万軍の神、主よ。私にはあなたの名がつけられているからです。(エレミヤ 15.16)
まもなく51才 少しずつ無理ができない年となってきました。とくに内臓が疲れやすいと感じる今日このごろです。主に仕える時間のなんと短かいことなのだろうかと痛切に感じます。24才で初めて教会に集いました。同じ会社にいた女性(妻)が人を愛して許せる人でした。私はどうしてもそれが欲しくて教会に集いました。それから25年が経ちますが、あっという間でした。霧のように過ぎ去ってしまうような人の命なのかもしれませんが、そのようなものに新しい命を与え、主に仕える時間のなんとすばらしいことだろうかと感じます。私たちは永遠に関わる仕事が与えられています。「永遠から見ると、何を為したかではなく、何を信じたのかが重要である。」と先日のデーリーブレッドにありました。