「当たり前の日常って当たり前じゃないってことが震災を通じて分かった。そんな当時の思いが誰かに届けばいいな」

阪神大震災で被災し、
店舗、住居が全焼した
稲留さん夫婦の言葉は重い…。

大災害を経験した人にしか分からない、
大災害を経験した人にしか語れない、
重い言葉です。

私達も、今の「当たり前の日常」が、
当たり前ではなくなる時が来ることを、
日頃からイメージしておかなければならない。

私たちが生きている間には、
首都直下型地震、
東南海地震、
が発生する可能性が高い。

来年の台風では、
自宅近くで竜巻が発生するかもしれない。

生きるスキルを身につけて家族を守りましょう!


以下、産経ニュースより抜粋

夫婦は稲留英機さん(77)と妻の準子さん(62)。戦後まもない昭和26年に英機さんの祖母が「喫茶美鈴」を立ち上げた。当初はバラックで広さはわずか3畳だった。借金をしながら敷地を広げ、昭和55年には1~2階が店舗、3~4階が住居の店舗兼住宅になった。

平成7年1月17日早朝、地響きとともに激しい揺れが街を襲った。3~4階部分で寝ていた英機さんら一家7人は無事に脱出したが、店や周辺一帯は全焼した。《声もでなかった。ただただ涙が流れるだけでした》。燃えていく店や街を前に立ちすくんだ。
 その後、市内の知人や親戚の家を転々とし、家族がバラバラに生活する日々が続いた。それでも諦めなかった。《必ず再建をしてまた皆で元気に暮らせるようにと約束を誓いました》。その後、英機さんはがれきの撤去や、再建に協力してくれる業者探しなどに奔走した。
 震災から丸1年を前にした翌8年1月1日、店の再オープンにこぎつけた。「おめでとう。おいしかったよ」。そう言って笑顔で帰っていく常連客らの姿に涙があふれた。
景気は低迷し、売り上げは震災前の5分の1以下になった。ただ、英機さんは「震災で多くの人に助けてもらった。今後も地域の人に親しまれる場所でありたい」と笑顔で話す。
 震災当時を振り返れば、今もつらい思いで胸がいっぱいになる。それでも、《震災のこと、忘れてはいけないと心の中ではいつも思ってます》。震災から学んだことも多かったからだ。
 「当たり前の日常って当たり前じゃないってことが震災を通じて分かった。そんな当時の思いが誰かに届けばいいな」。準子さんは手紙の文面を振り返り、そう語った。
■震災ポスト 記憶を次世代に
 長田消防署の「震災郵便ポスト」は、25年前に起きた阪神大震災の記憶や経験を次世代の人たちに届けようと初めて設置された。同署の担当者は「これまで語られることのなかった思いが継承できれば」と話す。
 ポストを企画したのは、同署の高岡武志消防司令補(37)。震災当時は小学6年生で、兵庫県芦屋市の木造2階建ての自宅が全壊した。一緒に暮らす母と祖母が動転する姿を前に「家族を守らなければ」と思い、消防士を志した。
震災直後はつらい経験を率直に語る雰囲気があったが、次第にためらう被災者が多くなったと感じる。そこで、「気軽に思いを語れる機会になれば」と、同署1階の玄関ホールにポストを設置した。
 手紙は震災の思い出や記憶、教訓などをつづった2千字以下の文章が条件で、個人情報を削除した上で公表する予定だ。高岡さんは「震災の経験を次の世代に伝える最後の機会だと思って、ぜひ参加してほしい」と呼びかけている。