https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190625-00010002-wordleaf-soci&p=1

2001年にノーベル賞を受賞した、

野依良治博士が日本の教育について危惧されている。

 

僭越ながら、

私も日本の教育については非常に危機感を感じています。

 

与えられた問題に対して教科書通りに答える能力のみを繰り返してきた子供は、

自分から問題を見つけ解決する能力が乏しい。

 

人間が生きていく上では、解決できない問題が山ほど押し寄せて来る。

 

その問題に対して、頭の中を整理して解決する方法を導き出し、チャレンジして失敗し、最終的にはその問題を乗り越え結果を出せる人間にならなければならない。

 

そこには教科書通りの答えなどないし、

ましてや学校ではそういった問題の乗り越え方など教えてはもらえない。

 

答えが出せず、解決できない人間になるのか、

諦めずに問題解決しさらに成長していく人間になるのか。

 

こういう人間力を身につけさせることを、

我々も、学校や塾だけに押し付けていいのか?

親がその力を忍耐を持って与えるのか。

 

今、非認知能力に目を向けた教育が必要だと言われています。

認知力(勉強ができる力)

非認知力(人間力)

ハーバードの研究でも非認知力が高い方が結果的に高い報酬を得られるというデータが出ている。

 

協調性、忍耐力、メンタリティ、リーダーシップ、こう言った能力を幼少期から身につけることを私たちは子供達に教えていかなければならないと思う。

 

それは、子供同士で喧嘩しても子供同士のコミュニティで解決させることを口出しせず見守ることであったり、年上が年下の世話をし、年下が年上に面倒をみてもらい、社会構造の原理原則を学ぶことであったり、というような、子供の社会の中で培われるものではないかと思う。

 

家庭でもこういうことを意識して子育てを行い、

学校でもテストの回答は一つではなく、本質的に合った答えなら正解として認めることもヨーロッパのように取り入れていく必要がある。

 

非常に難しいが、

テストの点数が悪くても、

困った友達を助けてクラスをまとめている子に点数を付けるとか、

宿題が「椅子をつくる」、でも、車椅子を作ってきた子供を評価するとか?

もしその理由が、「同じ椅子でも人を助ける椅子を作りたかった」

という理由なら、その理由まできちんと受け止め、100点の評価するとか?

設計図通りの椅子を作ってこなかったら0点では子供は決められたことしかできない人間になってしまう。

 

そういう新しい教育と、

家庭での子供を育む時代がやってきたのではないだろうか?

 

皆様は、どうお考えでしょうか。