多数の人が好む(願う)ことができないということで少し凹む。
人はそれぞれ違う。「十人十色」。
それも本当。
しかし、人と違うとおかしな目で見られることがあるのも本当。
人はそれぞれ違う。違って当たり前。
「普通」の人なんていない。というのはきれい事、と思うことも少なくない。
年も暮れとなり、日本に帰省した・帰省する・帰省している人たち。
直接知っている人だったり、ブログでしか知らない人だったり、友達の友達の話だったり。
わたしは、帰省したいと思えない。
日本に帰省するのを楽しみにしている人が多い中、
わたしは「そのうち一度帰省しないわけにはいかないな」と考えるたび憂鬱になる。
全く楽しみにならない。
金を払って長時間の飛行機、バス等を乗り継いで何も無い田舎に帰り、会っても気まずいだけの家族(1人を除く)と会うというのは無駄でしかない。
パ-トナ-と帰るとするとホテル代もかかる。
友達と会えるとすれば、それはそれで楽しいのかもしれないが、わたしの友達は忙しい人が多い。
仕事が忙しかったり、子供がいたり、結婚していたり。
上記の全部だったり。
そう簡単に頻繁に会えるとは思わない。
家族親戚の誰かが亡くなったとしたら・・・というのも考えたりする。
それでも帰るのが嫌だ。
人間性を疑われるかもしれないが、わたしが帰ったところで死んでいる人は死んでいて、何かが変わる訳でも無いので出費を抑えたいと思うのだ。
と、いうことで帰省がひとつ。
もうひとつが子供だ。
子供が欲しいと思えない。
日本の友人やスウェ-デンでの身の周りで妊娠出産があったりするのだが、わたしは子供が欲しいとは思えない。
子供といえば語弊があるかもしれない。
4、5歳以上の子供ならいつか欲しいと思う時が来るかもしれない。
しかし、赤子が嫌なのだ。
まあ、自分が欲しくないと思って作らないのは悪いことではないし、その場合問題はパ-トナ-がどういう考えを持っているかだけだ。
子供を持たないことを選ぶ人もいることだし、そんなにおかしいことではない。
今年、パ-トナ-の家族の人口が一人増えたのだが、大人としてその赤子に対して何らかの興味を示すべきだとは思うのだが出来ない。
先程、赤子が嫌なのだと書いたが、きちんと説明すると、
・妊婦や赤子のような壊れやすい生き物にわざとではないにしろ何かしてしまった場合責任を取れないのでそういう状況になり得る状況を回避したい。(別に同じ部屋にいるだけ、や赤子を連れた人といる等は平気。抱くとなると難しい。) 嫌いというわけではない。
・赤子と関わる自分が物凄く気持ち悪い。
二つ目の理由は何故だかわからないのだが、これが大きいと思う。
昔、仕事で子供と関わることが多い時期があったのだが、5歳児と荒く遊ぶ等というのは楽しめた。
しかし、なぜか赤子はダメなのだ。
自分のことが気持ち悪くなって嫌悪感を抱く。
この間、パ-トナ-の母親がその新生児をそばに連れてきてわたしのパ-トナ-と触れ合わせ出したりしたのだが、わたしは携帯を取り出し、得意の「わたしの方には振ってくれるな」オーラを漂わせ難を逃れた。
移住してきてから数回、パ-トナ-の家族2人から「あなたたち、子供は?」的なことを聞かれることがあり、欲しくないわたしには苦痛だったが、パ-トナ-の家族の小さな夢を壊したくもないので「いらないんです」とは言えず、なんとなく濁してきた。
彼らからすると普通の質問なのだ。
たぶん、大抵の人にとって子供を持つということは当たり前にみんながしたいことというイメ-ジがあるのだと思う。
だから、彼らがそれを聞くのも全く悪いことでも非常識なことでもない。(わたしは結婚していないので日本の考えで言えば非常識だが・・・)
そういう時、「ああ、自分が子供欲しい派だったら、もっといろいろシンプルだったのかな」と考える。
帰省の件にしても、赤子の件にしても、凹むときは凹むのだが、金銭的なことを考えると、わたしは安くつく人生でラッキ-だったのかもな、とポジティブにも考える。
そういう自分なのだから、いいところも見つけてあげないとツライではないか。笑
それはそうと、乳児と関わる自分を考えると自分のことが気持ち悪くなる理由を掘り下げたい気もする。
何か心理的な理由があるのだろうか?