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The life of fiskflickan

大抵常に何かくだらないけど面白いことを考えています。
そんなわたしの頭のなかで起こっているランダムなことを書いていきます。

SAS1が始まったのだが、SAS G以上についていけない。
聞けないから答えられない。
聞けないから話にならない。
集中できないから文章を読もうとしても頭に入ってこず、目で追ってるだけみたいになりかなり時間がかかる。
レベルチェックの読解テストもほぼ白紙に近い状態で提出。

SAS1となると、もう、スウェ-デン語だけの問題ではない。
読んだものに対しての自分の意見をはっきり持ち、それをきちんと筋が通るように説明が出来ないといけない。
わたしはあまり意見を持たないので、「~についてどう思うか?そしてなぜそう思うか?」と聞かれると「別にいいんではないか。」というような意見しか出てこず、どうにもこうにもならない。

ドロップアウトしようか。

仕事もしてなくて、授業にもついていけず、面倒を見ないといけない子供がいるわけでもなく、創作活動をしているわけでも、ボランティアをしているわけでもない。

わたし、生きている価値あるのだろうか?

「じゃあ、仕事しろ。あまったれるな。」と言う声が聞こえてきそうだが、学校と両立できるような器用なわたしではないためしていない。一応それが理由だ。
ドロップアウトすると決めれば何かしら仕事は探すだろう。

勿論、勉強が出来ないというだけではなく、ここには書かないが他にも色々と問題があり、いっぱいいっぱいになっていたりすると、死にたいと思う。

いっぱいいっぱいになると「日本に帰りたい」や「家族に会いたい」などという人が多いかと思うがわたしは帰りたい(逃げたい)と思う場所が無く、むしろ絶対帰りたくないので行く場所も無いので「死にたい」と思ってしまう。

人の役にも立っていないし、大して「これがやりたい!」(それが娯楽だったとしても)というのもないし、責任を持って育てていかないといけない子供もいない、仕事で必要とされることも無い。
ただただ、他人の税金を無駄にしているだけだ。

将来の不安を抱えて、家族の問題に今も引っかかっている姉妹にわたしだけ逃げている少しの罪悪感のようなものを持ちつつ、自分の頭の悪さ・出来なささを背負って、大した楽しみも無く生きていくのって無駄にしか思えない。

勝手な話だが痛い思いや苦しい思いをしては死ぬ勇気は無いので自殺にはいたらずに今まで生きてきた。

毎日の小さなことだけで幸せは幸せといえるだろうが、学校を辞めてしまうと義務を果たしていない感はどこかにある。

今まで、学校に行ってスウェ-デン語を学んでいるということで自分に猶予期間を与えていた。
自分の家族に対しても学校に行っているということが「外国で遊んでいるのではない」という証明のような、免罪符のようなものになっていたのだと思う。

スウェ-デン人でも働かず、何かを学ぶわけでもなく生きている人もいるのだからわたしだってそういう時期があってもいいのではないか、とも考えられるがもう既にSAS GとSAS1の間の休暇で2ヶ月近く休みがあったのだからそれで十分ではないのか、と思う。

わたしは多少の不満はあるがスウェ-デンが好きなので人にわたしを見て「スウェ-デンではみんな鬱っぽくなる」とスウェ-デンのことを悪く思っては欲しくない。

わたしは元々、鬱状態になりやすい。それだけであって、スウェ-デンのせいでは決して無い。
実際、わたしの精神的に危なかった時期に比べれば現在はこれでもかなり安定している方だ。

今まで何度もスウェ-デンでもカウンセリング(セラピ-)に通うべきだなと考えては勇気が出ず、未だに受けていない。

暗いブログになったが、吐き出す場所が必要でここしかなかったので吐き出させていただいた。
読んでしまった方、申し訳ない。

睡眠導入剤のストックが増え、安心感が増したので、今晩はいつもより少し量を増やして飲んでぐっすり眠りたいと思う。

起きたときには気持ちが落ち着いて、少しでも前向きに上向きになれていればなと思う。