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The life of fiskflickan

大抵常に何かくだらないけど面白いことを考えています。
そんなわたしの頭のなかで起こっているランダムなことを書いていきます。

Påsk(イースタ-)ということでパ-トナ-の母親のアパ-トへお邪魔したのだが、
パ-トナ-の兄の子供たちも来ていた。

その中にはまだ1歳になっていない乳児も来ており、
前に見たときには笑うということをしていなかったと記憶しているのだが
今回は笑うようになっていた。

それを離れたところから見ながら、
「誰に教えられるわけでもないのに人は笑うということを学ぶのだな。不思議なものだ。」
と考えていた。

「泣く」という行為だってそうではないかと思われるかもしれないが、
「泣く」というのは言葉を発せられない新生児・乳児にとって生きていく為に必要なコミュニケ-ション方法だ。
腹が減った、排泄をしオムツが気持ち悪い、寒い・暑い、どこかが痛い等を伝え、要望をかなえてもらえるように、助けてもらえるように泣いて訴える。

しかし、「笑う(笑顔を見せる)」ということは必ずしも絶対に必要なことではない。
大人と違って作り笑いが必須な程厳しい環境にいる新生児・乳児は少ない。
「子供」というだけでむっつりしているときでさえも「かわいらしい」と思う大人は多いのではないだろうか?
それなのに人間は幼くから笑うということを自然と学ぶ。
面白い現象だと思う。


もう一つ、考えていることなのだが人はよく「友人(人間関係)は鏡」というようなとこを言うが、
わたしは乳児・幼児の表情は鏡ではないかと考える。
前者はメタファ-だが、後者は実際に物質的な意味での鏡という意味でだ。
パ-トナ-の兄の子はわたしのパ-トナ-に笑顔を見せていた。
しかし、彼(乳児)がわたしの顔を見るとき、昨日にしてもそれ以前にしても、
その顔には表情が無いのだ。表情から読み取れる感情が欠如している。
つまり、わたしが他人に見せている顔は無表情が多いのではないかと思う。

好きなことをしていると自然と笑顔になる。はずなのだ。
早くたくさんのことが楽しいと思えるようになりたいものだ。