空見 | The life of fiskflickan

The life of fiskflickan

大抵常に何かくだらないけど面白いことを考えています。
そんなわたしの頭のなかで起こっているランダムなことを書いていきます。

夏のスウェ-デンの早朝の空、あなたは見たことがあるだろうか?

4~5時の空。
まだ明るくなりすぎていない、しかし、暗いということは全く無い。
外は夏といえどもまだ肌寒い。

スウェ-デンのいいところは首都であろうと大抵自然が近くにある。
早朝、3時半頃に家を出て少し歩いた。
林を抜け、サッカ-のグラウンドへ。
誰もいない。

空は白い雲と遠慮気味な薄い青色の上に薄い桃色のフィルタ-を掛けたようだった。
木々は黒く、空は柔らかく弱々しい明るさを漂わせていた。
草の匂い。

見渡せど誰もいない。
ひとりだ。

ただ見るのならアパ-トの窓からだって空は見える。
しかし、そんな見方ではせっかくの広い空が、電線で区切られてしまうことの無い空が勿体無い。

わたしはグラウンドの中心まで歩き、土の上に仰向けに寝てみた。

勿論、もし人が通ればおかしな目で見られるか、心配をされるだろうということは頭にあった。

最近、人からどう見られるかを気にする自分が嫌になっていた。
わたしはどこまでいってもわたしで、誰かの視線やされるであろう評価を気にして行動をしたりしなかったりするべきではないのだ。
やろうと、やりたいと思ったことはやらなければいけない。

誰しも人の目を気にする。
そして、それに影響され、できなかったことや嫌々ながらにやったことの文句を言う、愚痴を言う。

人の目というのは無言の圧力であり、無言であっても圧が強い。
無言であるからして、相手に責任は無く、それによってあなたがあなたの行動を制限しても当たり前ながら誰も責任をとってくれたりはしない。

人からどう見られるか、を気にせず自分の心のままに行動する強い心がスウェ-デンでは特に必要であると感じる。

自己責任、個人主義の国。
「おつきあいで」という関係をあまり目にしない気がする。
「行きたくないけれど人間関係が怖くてパ-ティ-に参加する」というようなことはすごく日本人的だ。
こちらでは、人間関係が比較的ドライで、その為、スウェ-デン人は情に薄いと思う日本人もいるのかもしれない。

やりたいことはやる、やりたくないことはやらない。
他人は他人。
人からの評価を気にしてやりたくないことをやって、後々嫌な気分になっても、それは自分の責任。
決断をするのは自分で、その決断の重大さが大なり小なり、決めた自分の責任である。

だけど、裏で愚痴を言ったり人の悪口を言ったりはしない。
わたしは決してスウェ-デン人を多く知っているわけではないので、上記はわたし個人の感じたことだと取っていただきたい。


わたしはこのスウェ-デン式の個人主義的なドライな生き方を自分の中に取り入れたいといつも感じている。


話はずれたが、グラウンドの真ん中に寝、大きな空を見上げる。
プラネタリウムの雲バ-ジョンだ。

背中に感じる冷たく硬い地面。
草の濡れた匂い。
聞こえる自然の音。
見えるのは空だけ。

大自然を訪れた人が「壮大で、人間の存在や自分の抱えている問題の小ささを感じた」等と言うのをよく耳にする。
わたしは、そうは感じない。
わたしは、ただただ空を綺麗だと見ているだけだ。
空とわたしだけ。
雲の流れていくのや、鳥がたまに飛んでいくのを目で追うだけ。
そこには自分ひとりだけ。
なんだか「無」になれた気がして心地よいのだ。