夢を見ていた。

何かに脅える夢。

突然出てきた、何か恐ろしいモノに恐怖を感じる夢。

その夢の中から、現実に戻った時に思ったこと。


自分が自分でないものを受け入れる恐怖。

それはあくまで自我を守ろうとする心の仕組みなんだってこと。

受け入れたら、自分が自分でなくなってしまう。

そんなことを思って、恐れて、でも恋い焦がれて。


他人を受け入れる前に、自分を受け入れる。

それって自我を肯定することじゃない。

無意識の領域に足を踏み入れること。

無意識ってまさしく「無」だから。

自分がどうしたい。

自分はこうしたい。

そんなものない世界だから。


ただ世界があって、そこに在る自分。

どこにでもいて、どこにもいない。

シュレーディンガーの世界。

量子力学は確率論。

では、あるモノとないモノはどこで分かれる?

エネルギーはゼロからのゆらぎで生まれる。

現実世界に+1が生まれれば、どこかで-1が生まれる。



虚数世界。

虚数空間は絵空事じゃない。

意識はやっぱりどこかで虚数空間で何かしら影響を与えている。

目に見えない世界は信じられない。

そう思ってきた。

人は知識としてはわかっても、原子を見ることはできない。

ただ、そこには在るとしか言えない。

物質的に縛られるというのは、認識が縛られることに他ならない。

自分が世界に浮き上がってきた波だって分かった時に、なんかどーでも良くなる。



自分という存在はまさに「在りながら無い」

まさしくそこに「在る」

でもどこにも「無い」

「無い」ことを認めた時に、世界とつながる道ができる。


だから、実は何かを願うことには意味がない。

自我の願う願望は現実化されない。

自我は虚数空間とつながっていないから。

無意識から拡がるエネルギーが現実化する。


自我から見ると、現実を変えるのは難しい。

でも、無意識から見れば現実化して当たり前。

だから、つながればいい。

一度ゼロに戻ってどんな「+1」と「-1」を生み出そう。

そうやって「ゼロ」に戻ったら、変わってくるんだ。


生き方が。

人生が。

世界が。