僕は、悲しいとか悔しいとか羨ましいとか恐怖といった感情を大切にしている。

でも、多くの人はこういった感情を感じたくないと思っているのではないだろうか。

また、自己啓発では合理的に再解釈していくことを勧められる。

敢えて僕は問いたい。

あなたが本当に大切な人をなくしたとき、その打ちひしがれる激情を簡単に手放せるのか。


感情は理性よりも劣った行動選択手段ではない。

むしろ僕は感情こそが真の意味で人間らしい選択手段だと感じている。

死んだものは生き返らない。誰もが理解している。

それでも人は近しい人の死を悼む。
そこに僕は「真の人間らしさ」を強く感じる。

ハッキリ言って「死を悼むこと」など成功哲学に則れば全く無駄な行動であり、時間の浪費であると言われるだろう。

溺れた他人を助けるために海に飛び込むという英雄的行為ほど非合理的なことはない。

それでも人は、「死を悼む」し、英雄的行為に熱いモノを感じる。

そういういわゆるウェットな感覚が、極めて人間的だと思うだけだ。

僕はただ、この人間らしいちっぽけな一生を最大限に楽しんで生きていきたい。

そのためには合理的な判断よりも人情味や豊かな感情の方が重要。

感情は常にゆらいでいる。

あらゆる状況を総合的にまとめてある種の感情が生まれる。

それだけたくさんの経験を、僕たちは無駄にしていないだろうか。

僕が成功哲学やスピリチュアルにどっぷりはまりこめないのは、ひとえに「人間味」を感じにくいからだと思う。

仏は救いの手を差し伸べるかもしれないが、そこに人間らしいものは存在しない。

存在したら「神」としての威厳は失われる。

だからこそ、全身全霊を人は預けることができる。

でも僕は、それを極めて「キライ」と判断する。


感情は僕らが制御できない備わった「知性」の発現だ。

理性で考える論理的思考は感情の裏付け程度にしかならない。

そういう意味で人に自由意思はないし、けれども感情という知性があるからこそ人間は機械を越えた存在でいることができる。


ここまで熱く語ってきましたが、要するに僕は人間味のある人間でい続けたいってことです。



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