どうも、吉葉です。
『悟り』は、エゴの執着を捨てることで
『大いなる自己』『ハイヤーセルフ』を感じることです。
ハイヤーセルフとは『大いなる自己』と訳されます。
つまり、self…「自分」でありながら自我ではない存在、とも言えます。
僕たちは、普段自我の鎧に「本当の自分」を隠しながら生きています。
それは「本当の自分」をさらけ出すことが怖いから。
「本当の自分」を出さない方が良いと思い込まされているから。
ハイヤーセルフで検索するとよくわからないのに、
よくわかったようなことを言っている方がたくさんいますが、
僕はハイヤーセルフとは手の届かない高尚な存在ではなく、身近な存在です。
なぜならそれは「セルフ(自分自身」だからです。
それでもエゴ(自我)とハイヤーセルフは明確に違います。
それは『自我(エゴ)』と『自己(セルフ)』の違いとも言えます。
この2つの違いはなんでしょう。
『自我』の「我」を捨てた時に『自己』は現れます。
我とは、独りよがりや人の言葉に耳を傾けないことです。
「先生。テストで良い点数がとりたいです!」
「じゃあここのあたりが出るからしっかり勉強しておきなさい」
「いえ、僕は違う章が好きなんでそこを勉強しておきます!」
「お金持ちになりたいんです。どうしたらいいんですか」
「じゃあ私が教えてあげるから家に来なさい」
「いえ、僕は一人で頑張ってみようと思います!」
「師匠。どうやったら悟りの境地に入れるのでしょうか」
「おまえに必要なのは自分を見つめなおすことだ。全国を回ってみなさい」
「いえ、僕は面倒なのでここで瞑想して悟りを開きます」
3つほど「我」の例を出してみました。
この3つの例で1人でも成功できそうな人がいるでしょうか。
おそらく、ほとんどの人は「ノー」と答えるでしょう。
「我」とはそういうものです。
言いなりにならないための「我」は必要です。
しかし、『我』が強すぎれば、さらなる飛躍をみすみす逃すことにもなりかねません。
このような強すぎる「我」が『エゴの執着』といえるのです。
あまりにも周りの環境が強烈な場合、自分自身を守るために
人は『エゴの執着』という鎧を着て自分自身を守ります。
しかし、その鎧が必要なくなった時にそれを着ていても鎧なんて重いだけなのです。
もう誰も今のあなたを否定するものはいないのです。
本当のあなたは輝く光そのものです。
しかし、鎧を着ていてはその光もまわりからわかりません。
光が見えないから誰もが見向きもしないのです。
だからあなたは自分の光を見せていいんです。
それを否定する人と向き合う必要はありません。
自分の光を大事にしてほしい と僕は切に願います。
「自我」から『自己』へ、ということは
『我』を捨てることで自己を再発見していくことです。
自我→自己への変容は『自分の意識』の話であり、他者の介在はありません。
さらにいえば、自我というと自分の意識そのものも意味しているのですが、
ここでいう自我は『エゴの執着』であり、あなたの意識そのものではないのです。
つまりエゴの執着を捨てるということは、自分という存在が消えてしまうこととイコールではありません。
むしろ意識の変容であり、『自分の存在理由』がさらに明確になった状態と言えます。
そろそろ、あなたも自分を鎧を脱いで自分の光を大事にしてみてください。
それが本当の意味であなたらしい生き方につながってきます。
それでは。
記事が参考になった、面白かったという方はクリックいただけると幸いです。
健康と医療 ブログランキングへ
『悟り』は、エゴの執着を捨てることで
『大いなる自己』『ハイヤーセルフ』を感じることです。
ハイヤーセルフとは『大いなる自己』と訳されます。
つまり、self…「自分」でありながら自我ではない存在、とも言えます。
僕たちは、普段自我の鎧に「本当の自分」を隠しながら生きています。
それは「本当の自分」をさらけ出すことが怖いから。
「本当の自分」を出さない方が良いと思い込まされているから。
ハイヤーセルフで検索するとよくわからないのに、
よくわかったようなことを言っている方がたくさんいますが、
僕はハイヤーセルフとは手の届かない高尚な存在ではなく、身近な存在です。
なぜならそれは「セルフ(自分自身」だからです。
それでもエゴ(自我)とハイヤーセルフは明確に違います。
それは『自我(エゴ)』と『自己(セルフ)』の違いとも言えます。
この2つの違いはなんでしょう。
『自我』の「我」を捨てた時に『自己』は現れます。
我とは、独りよがりや人の言葉に耳を傾けないことです。
「先生。テストで良い点数がとりたいです!」
「じゃあここのあたりが出るからしっかり勉強しておきなさい」
「いえ、僕は違う章が好きなんでそこを勉強しておきます!」
「お金持ちになりたいんです。どうしたらいいんですか」
「じゃあ私が教えてあげるから家に来なさい」
「いえ、僕は一人で頑張ってみようと思います!」
「師匠。どうやったら悟りの境地に入れるのでしょうか」
「おまえに必要なのは自分を見つめなおすことだ。全国を回ってみなさい」
「いえ、僕は面倒なのでここで瞑想して悟りを開きます」
3つほど「我」の例を出してみました。
この3つの例で1人でも成功できそうな人がいるでしょうか。
おそらく、ほとんどの人は「ノー」と答えるでしょう。
「我」とはそういうものです。
言いなりにならないための「我」は必要です。
しかし、『我』が強すぎれば、さらなる飛躍をみすみす逃すことにもなりかねません。
このような強すぎる「我」が『エゴの執着』といえるのです。
あまりにも周りの環境が強烈な場合、自分自身を守るために
人は『エゴの執着』という鎧を着て自分自身を守ります。
しかし、その鎧が必要なくなった時にそれを着ていても鎧なんて重いだけなのです。
もう誰も今のあなたを否定するものはいないのです。
本当のあなたは輝く光そのものです。
しかし、鎧を着ていてはその光もまわりからわかりません。
光が見えないから誰もが見向きもしないのです。
だからあなたは自分の光を見せていいんです。
それを否定する人と向き合う必要はありません。
自分の光を大事にしてほしい と僕は切に願います。
「自我」から『自己』へ、ということは
『我』を捨てることで自己を再発見していくことです。
自我→自己への変容は『自分の意識』の話であり、他者の介在はありません。
さらにいえば、自我というと自分の意識そのものも意味しているのですが、
ここでいう自我は『エゴの執着』であり、あなたの意識そのものではないのです。
つまりエゴの執着を捨てるということは、自分という存在が消えてしまうこととイコールではありません。
むしろ意識の変容であり、『自分の存在理由』がさらに明確になった状態と言えます。
そろそろ、あなたも自分を鎧を脱いで自分の光を大事にしてみてください。
それが本当の意味であなたらしい生き方につながってきます。
それでは。
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