どうも、吉葉です。
今日は少し哲学的な話をします。
僕は哲学や思想というものが好きで色々と影響を受けています。
最近ではルソーの自由契約論だったり実存主義などがマイブームです。
今日のタイトル「人生は無意味だからこそ価値がある」ということについて考えていきます。
人生の主役とはそもそも誰なのか。
それは間違いなく、今ここに存在している自分自身という主観です。
僕は○○が好きだ。○○がしたい。一人称は「私の主観」ということを表しています。
たとえば僕はお酒はビールが好きだし、泡盛は苦手です。
運動はジャイロキネシスやヨガは好きですが、マラソンはキライです。
自分自身の選択が、そこにある人生とも言えます。
将来の目標は政治家になって日本を変えることだ。
自分自身の自由意思の下に送る「私の物語」こそが「内」の世界です。
しかし、人生は自分自身だけで成り立つものではなく、常に環境や歴史という「自分以外の存在」によっても定義されています。
総理大臣になりたいという希望があったとして、まわりはそれに反対するかもしれませんし、逆にそれを応援してくれるかもしれません。
足を引っ張ろうとする人が現れる一方で手を貸してくれる人も出てきます。
僕らが関与できない存在は自分自身以外の存在、つまり「外」の世界です。
究極的に言えば、現時点で感知できる「外」の世界の限界は宇宙です。
さらに言うと、宇宙という存在はすでに終末が予言されている存在です。
いずれは全ての恒星が燃え尽き、宇宙全体が一定の温度となり、どのような物理現象も生じない「熱的死」の状態を迎えると言われています。
話が大きくなりますが、「人生が無意味」というのは宇宙はいずれ死する存在であるのに、自分の人生は良い人生でも悪い人生でも無意味である。 というのが実存主義の主張ということになります。
世界を途方もなく大きな尺度でみると、確かに人生は無意味といえるかもしれません。
だけど、僕はこの実存主義を理解した時にこう思ったんです。
「人生が無意味なら、何やってもいいじゃないか」
いずれ無意味に帰すものなら、自分が好きなように生きたって構わないわけです。
選択は常に僕達に委ねられているわけです。
「外」の世界は関係なく、「内なる自分」が本当はどうしたいのかについて目を向けていくことが、
本当の意味で「自由で楽しい生き方」になってくると僕は考えています。
そうして「内なる自分」の声に耳を傾けるようになると、「外」の世界への責任転嫁をやめることができます。
自分が今不幸なのは親のせいだ。景気が悪いのは国のせいだ。原発事故は東○の責任だ。
尖閣諸島問題が解決しないのは政治家が悪いからだ。
全て、自分自身以外の「外」に責任を預けています。
しかし、本当の責任とは常に「内なる自分」に潜んでいることを僕らは忘れてはなりません。
景気が悪くても世界はまわるし、原発事故が起きても結局人は生き続けているわけです。
そこで「外」の責任を糾弾しても何も始まりません。
「内なる自分」がまず何をしたいのか、何をすべきなのかを見据えていくことが、本当の意味で世界と向き合うことにつながってきます。
景気や原発事故だと事態が大きくなりすぎて現実感が湧かない人もいると思います。
たとえば、恋人とのケンカの原因を相手のせいにした経験、ありませんか?
子供の頃、親に怒られたことを親が悪いといいように解釈していませんでしたか?
これは人間の持って生まれた傾向ではあるのですが、世界の当事者として「生きていく」には向かない思考なんです。
原因を「外」の世界に求めているからです。
「外」の世界は「内なる自分」がどう頑張っても変えられない世界です。
だから、変わるのであれば自分が変わるしかありません。
自分の行動を客観的に見つめ、自分の非を正しく認めることが必要です。
それは諦めることや自分が折れることとは明らかに違う行動です。
自分の非を認める、ということは理想の自分ではない自分を認めるということです。
現在の自分が発展途上であることを認め、理想に向かって歩き出すことが出来るのは、
こういう思考を身に付けた時に初めて可能となります。
自己責任、という言葉がありますがまさしくこういう状態こそが自己責任です。
今の社会では自己責任というと、ちょっと侮蔑的というか、何が起きても知らないよという無関心という意味合いを持っている気がしてなりません。
他者に対して「自己責任」という責任転嫁をするのではなく、
自分自身に対して「自己責任」として自分の人生だけでなく他人の人生にまで責任を持った時に、
その人間は支持されるようになります。
だってそうですよね。人間て気にかけてくれる人のことを好きになりますよね。
当たり前なんですよ。
人間は基本的に「内なる自分」、要するに自分にしか興味がないんです。
みんながみんな自分にしか興味がないところに自分に興味を持ってくれる他者が現れたら、嬉しいに決まってるんです。
世の中における人気とかってそういう側面からも見つけることができます。
僕が言えることは他者も含めた自分から見た「自分がやりたいこと」であれば、自分がやりたいことをやって生きることが可能である、ということです。
それを探す旅路には、必ず自分のルーツを探る必要があります。
これについてはまた気が向いた時に話しましょう。
今回はかなり濃厚に書かせていただきました。
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それでは。
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