その後、しこりは急に大きくなり、女性は痛みを訴えたのだが、その痛みは、冷却シートを貼るだけで治まってしまったというのだ。「がんの痛みが冷却シートぐらいで治る訳がありませんから、これはがんの痛みではなく、しこりが急速に大きくなったため、皮膚が引っ張られて、それを痛みと感じるようになったんだと思います」
以前は、がん患者が痛みを訴えたら、すぐにそれはがんの痛みと考え、麻薬を使っていたこともあったという中村医師だが、「同和園」に来て、その考えが大きく変わったという。「がんの患者が痛みを訴えると、なんでもがんの影響だと考える傾向が強いような気がします。ここに来て、そのことがよくわかるようになりました。お尻がただれて痛いという患者に麻薬を使う医師がいるほどですから。がん患者の痛みの中には、がんの影響ではないものもかなりあると私は思うようになりました」
◎病院のがん患者との違いは何か
中村医師は十六年前から「自分の死を考える集い」という市民グループを
主宰している。
 「いまの時代、“死”をタブー視し、遠ざけるあまり、“生″もおかしなものになっている。“自分の死”を考えることは、“死に方”を考えるのではなく、
死ぬまでの“生き方”を考えることなのだ」
中村医師のこんな考えに共感した人が全国から集まってくる。なかにはがんと診断された人もいる。検査の結果、肺がんと診断された森野茂一さん(79)もそんな一人。森野さんは診断後、担当医からこう言われたという。
「八十歳なら手術はやらないが、あなたは七十九歳だから手術しよう」なぜ、一歳だけの違いで手術をするかしないかが決まるのか――。そう考えた森野さんは医師に不信感を持つようになる。そして「集い」にやってきて、中村医師の考え方に共感し、その後一切の医療との関わりを絶つことになる。
手術の勧めを拒否し、肺がんを「完全放置」した森野さんはその後どうなったか。
なんと、その後四年三ヵ月間も好きな卓球を続けながら、QOL(生活の質)も全く落ちることなく、普通に生活を続けることができたというのだ。
さすがに亡くなる1ヵ月前には、へたりこんで力は衰えたというが、
最後まで呼吸困難もなく、痛みも全く出なかったという。しかし、
亡くなる間際に問題が起きた。どこの医者にもかかっていなかった森野さんには、亡くなった後に死亡診断書を書いてくれる医師がいなかったのだ。
そうした場合、「不審死」として警察が入って厄介なことになる。
中村医師は森野さんに至急、往診医を探すよう助言する。
八方手を尽くしてなんとか往診医を見つけるが、医療との関わりを絶ったがん患者など、普通の医師からすれば常識外だ。往診医から、
「入院しろ、検査しろ、点滴しろ」と厳しく迫られたという。
当初は頑なに拒否していた森野さんだが、仕方なく一回だけ点滴注射と血液検査を受けた。そのとき、肺がんの腫瘍マーカーの数値のあまりの高さに医師は驚いたという。だが、最期まで全く痛みを訴えることもなく、苦しむこともなかった。
そして、何の治療もしないことに猛反対だった子供たちが、「よくぞ、こんな穏やかな死を見せてくれた」と感謝したほど、
森野さんの最期は安らかなものだったという。