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「まず最初に目にしたのは、荒れた子供時代だった。そこには意地悪な自分の姿があった。ほかの子の自転車を盗んだり、彼らに学校でみじめな思いをさせていた。
なかでも小学校で、首から腫れ物が突き出ているといって甲状腺種の生徒をいじめた場面が最も鮮明だった。クラスの他の生徒たちも彼のことをいじめてはいたが、私のいじめ方が一番ひどかった。当時の自分はからかい半分程度の気持ちだった。
だが、その一件を思いおこしているあいだ、私はその生徒の体に入り込み、自分が与えた彼の苦しみを感じとっていたのだ。
この感覚は、子供時代の陰湿な事件を思い出しているあいだ、ずっとつきまとっていた。かなりひんぱんに、はっきりと感じられた。
5年生から12年生にかけて、私は少なくとも6000回は、殴り合いの喧嘩をしたはずだ。
光の存在に包まれながら、自分の人生を振り返っているあいだ、その一つひとつの喧嘩を再び経験していたのだが、一つだけ大きな違いがあった。
思い返しているときの私は、被害者の立場になっていたのだ。
被害者になったといっても、何も自分のパンチを食らったような感覚に陥ったわけではない。そうではなくて、相手の苦悩や屈辱を感じ取ったのだ。
ほとんどは避けようのない喧嘩だったが、中には理由もなく私の怒りの犠牲者となった人たちもいた。
回想する中、私はその人たちの苦しみをいやおうなく感じ取ることになったのだ。(中略)
人生の回想を行なっているあいだに私が体験した感情の奥の深さは、驚くべきものだった。一つの出来事の中で、自分と相手の両方の思いを感じるだけではなく、それに反応した第三者の気持ちも、感じ取ることができた。つまり、私は次々と連鎖する感情の中に身を置いていたということだ。お互いが、とても深く影響し合っていることがよく分かった。
私は小学生のときに、ある級友の後ろからこっそりと忍び寄り、その子が立っている足元に敷いてあった敷物を引き抜いてしまったことがある。
不意打ちをくらった級友は顔からまともにコンクリートに倒れ込んだ。体を回して起き上がった彼の口には血が流れ、それまで倒れてた地面には前歯が二本落ちていた。級友は痛そうな顔もせずに、私をまじまじと見つめていた。何が起こったのかもわからず、呆然としていたのだ。
人生の回想の中で、私は再びこの少年の顔とこの出来事を見ることになった。
しかし、今回は彼の立場に身をおいた状態も味わった。
いきなり地面に叩きつけられた驚きと痛みが自分のものとして感じられた。振り向くと、にやついている私の顔があった。このときはじめて、彼がなぜあのとき悲鳴をあげたり泣くことをしなかったのか理解できた。
あまりにも衝撃が大きすぎて、息を吐き切ってしまったのだ。泣きたくても悲鳴をあげたくても、口から出せる空気はもう残っていなかったのだ。
それとは別の回想場面で、私は級友の少女を登校途中でいじめている自分を眺めることになった。
棒を振り上げてその子を脅していた私は、自分が力を手にいれたような気分になっていた。ところがそれと同時に、その少女の恐怖も感じることができた。
眼前で繰り広げられている光景を見て、私は脅している自分を止めようとしたが、もちろんそれは不可能だった。
これは人生の回想であり、私が目にしているできごとは実際に起こったことの再現であって、変えることはできないのだ。