この話は、4年前の夏まで飼っていた愛犬のことです。


19986月中ごろ、梅雨の雨が冷たかった日、一匹の子犬が私の家にやってきた。生後二か月のかわいい、かわいいミックス犬。名は「ケン」。私にとって初めての子犬。私は父に「ケン」の世話をするよう言われた。そして始まった私と「ケン」との生活。何もかもが初めての私。はじめは母の手を借りながら「ケン」の世話をしていった。餌をやり、散歩に行き…。このとき私はまだたったの6歳。一人でやるなんて無理だった。散歩なんて「ケン」に引っ張られてばかり、何度もこかされた。でも、次第に「ケン」も引っ張らなくなって私のいうことも聞くようになった。


時は過ぎ、2000年。このころから私と「ケン」は一緒にいる時間が減っていった。私も小学生。友達と遊ぶ時間長くなり、家より外にいる時の方が多かった。散歩は面倒くさい、餌は適当にやる。「ケン」に対しての扱いが一番ひどかった時だったかもしれない。


小学校4年の時友達に誘われバスケットボールチームに入った。年を数えるごとにチームは規模が大きくなり、大会でも優秀な成績を残していた。私が6年の時一番大会成績がよかった。そのため練習は一層厳しくなり、休みの日も少なかった。私は「ケン」から離れていった。そして、私は小学校卒業を迎えた。


20054月、私は中学に入学。部活は小学校の時からやっていたバスケットボール部に入部した。先輩は小学校の時からの人が多くてチームは好成績。週末には遠征や練習試合などで家にいる時間は短かった。このとき、私の中で「ケン」はどんな存在だったのだろうか。単に家にいる「犬」に過ぎなかったのかもしれない。

2007年夏、部活の引退。この年の夏休みは存分に「ケン」と遊んだ記憶がある。でも様子はすでにおかしかった…。



2006年冬のある日、父と私と「ケン」とで庭で遊んでいた時のこと。走り回っていた「ケン」が突然横に倒れ、足をバタつかせたのである。このとき、父も私もただはしゃぎすぎただけだと思っていた。それからというもの、「ケン」は、走っては倒れ、走っては倒れを繰り返していた。今思えばこのとき病院に連れて行ってやればよかった…。



20084月、病院に連れて行かないまま時は過ぎた。この時から「ケン」は、散歩に行かなくなった。大好きだった散歩に行かなくなったことに、私は驚くしかなかった。そして、今までは走ったら倒れていたが、このころは、走らなくても倒れるようになった。私は母に病院に連れて行くよう何度も言った。そして、やっと連れて行ったとき、すでに7月だった。病院に「ケン」を連れて行き医師に言われたこと。

「なんでこのままにしていたのですか?もう手術しないと助かりませんよ。」

私は唖然とした。

もう「ケン」は助からない。そうおもった。病名は「フィラリア症」。犬の代表的な病気。家族は皆手術をせず「ケン」を見守ることにした。

 

2008815日、世間は63回目の終戦記念日。気づけば病院に行ってから一か月がたっていた。「ケン」は病院に行く前より元気だった。家族は皆「フィラリア症」などウソなんじゃないかと思っていた。夜になり今日も何もなかったと終わろうとしていたとき、「ワン!!」と「ケン」が鳴いたのである。久しぶりに「ケン」の鳴き声を聞き安心して、私は「ケン」の顔を見ようと外に出た。しかし、そこには変わり果てた「ケン」の姿が…。体をなでる。まだぬくもりがあった。「ケン」は最後の力を振り絞り鳴いていたのだ。私のこころは悲しみでいっぱいになった。しかし、どこかで泣いちゃいけないと思っていたのか泣かなかった。段ボールに「ケン」を入れ、毛布を掛け、周りに保冷剤を入れた。この夜私は夢を見た。「ケン」が私に「ありがとう」と言ってきた夢を。

 

次の日、「ケン」を火葬場まで送りに行った。私は車の中で「ケン」の横につき最後のひと時を過ごした。「ケン」とともに過ごした10年間を思い出しながら…。火葬場の入り口。ここで最後。線香をあげ手を合わせる。そして、私は「ケン」にこう言った。

10年間ありがとう。ゆっくり休みな。」

と…。


 

私は「ケン」と出会い、共に生活をし、過ごした日々を忘れることはないだろう。今思うと、小学校6年間、中学3年間は「ケン」がいたから乗り越えられた。私はずっと信じている。「ケン」、君と出会えて本当に良かった。ありがとう。そしてまた天国で会おう。「ケン」、その時まで待ってて。


fishfightingさんのブログ