ヴラマンクとパッションについて
先日、ヴラマンクのフランス切手の記事をアップした際に、当ブログに
お越しいただいている、ワインとクラシック音楽、そして、フランスに
大変お詳しい cortonさんと、「ヴラマンクって、ピンと来ませんよね」
といったやりとりをさせていただきました。
ヴラマンクが表現した、また、表現せずにはおれなかった苦悩のパッ
ションに、今一線、波長が合わないためだろうと思うのですが、そん
な中、次の作品は、いかにも「なにが、ゴッホの黄色だ! 俺の方が
激しい」とでも言いたげなので(と、勝手に思えて)、紹介させていた
だきます。
ヴラマンク 『 麦畑 』 不明 コロンバス美術館
ただ、これには伏線があります。
所蔵のコロンバス美術館は、ハワード・シラク&ハベット夫妻による寄
贈ものが多いのですが、そのシラク夫妻は、ノルデがナチに追われて
いた時に描いた次の悲しい作品に感化されて以降、一気に絵画コレ
クションを形成しました。
ノルデ 『 強風に立つひまわり 』 1943 コロンバス美術館
孤独などの悲しさとは次元が異なる、次の瞬間にも家の扉が開いて銃
殺されるかもしれないという極度の恐怖の中における作品です。おそら
く、シラク夫妻は、この作品を前にして何度も涙が止まらなかったので
しょう。
そういったコレクションの一つとしての、先のヴラマンクの作品ですの
で、「波長が合った」というのも、激しい感情のコレクションという意識
の方が先に立っていたためかもしれません。
ところで、苦悩というと、あらゆる新たな価値を生む人は、必ずや苦悩
のパスを通過するものでしょう。それを激しく認識する人もいれば、認
識しなくて済む人もいます。また、それ自体を表現する人もいれば、
表現しない人もいます。
その中で、ゴーギャンのこの作品、
ゴーギャン 『 ゲッセマネの園の苦悩 』 1889 ノートン美術館
ココまで素直に表現するものかわ!? と、恐れ入ってしまいました。
モームの「月と六ペンス」も、ゴーギャンの苦悩を表現すること、そ
こだけについては、一歩足りなかったかな、と思えてしまいます。