阪神淡路の時を引き合いに出したりしていて、

 私は当時10歳

 ほとんど記憶にない

 長野オリンピックさえ全く見ていないほど、社会に無関心なこどもだった

 中学の卒業旅行で、断層がずれた場所が保管されていて

 それを見に行った

 今見たら、すごいショックを受けるだろうけど、

 15歳の時ですら、私に痛みはなかった


 だから、すごく怖いのだけれど、怖いからここにちゃんと書きます

 もしこの大震災が、

 北海道や九州、四国、関西よりも西で起きていて、

 長い大きな揺れを東京で感じることがなかったら、

 私は今、こんなにも無力感や悔しさを感じるのだろうか

 たぶん、できることをしようとは思うけれど、日常の範囲以内のことで、募金とか節電とか

 自分の身を削って何かしようとは、きっとしないんだと思う

 

 ひとの気持ちになって考えてみろ

 先生とか、大人がよく言う

 

 おとなになるに連れ、色んな人、色んな出来事、割り切れない感情、不条理理不尽嫉妬

 わけがわからなくなってきて、

 誰もに嫌な思いをさせないように、そんなの無理なのに、臆病になって


 今、自分が苦しいなら、辛いなら、それはそれなんだよ

 インタビューで「ウチはまだましだから」「ヨソはもっとひどいから」

 殊勝だなあと思いはします、一応

 でも、あなたたちの苦しさや痛みはあるんだよ

 それを堪える必要は、ないよ

 不幸比べは人間社会で一番くだらないことだもの


 みんな一緒だよ

 Operation“ともだち”

 世界中の人たちが、応援している


 ニュージーランドの時、

 間違いなく私の痛みはなかった

 ガダフィは倒して欲しいが、あくまでもNATOは後ろ盾で、

 国民に何とか立ち向かって欲しい


 昔は短歌で恋のやりとりをしていたような国だから、

 言葉はたくさんあるのだけれど(段々失われつつあるが)

 それを婉曲する技術、読取る技術を磨いてきたので

 まっすぐな言葉って、

 発するほうも、聞き手も、

 持て余してしまってるんじゃないかなって

「頑張ってって言葉を言うのは酷だと思うから、何か他の言い方はないですか?」

 ってヤフー掲示板に書いてあった


 高校の時、演劇の地区大会に参加した高校に、全く交流はなかったのだけれど、

 白いハンカチを渡されて、応援メッセージを書こうってことになって

 修学旅行は沖縄だったのですが、そこでバスガイドさんが、

結――共同、協働など、村落集団が助け合ってまとまっている

 という言葉を教えてくださって、

 部活の友達とでっかく【結】って書いて、後に炎を描いた


 ネットで、自分の意見を何とか伝わるように言う、というのは

 客観的にならなくてはいけなくて、

 

 結果、今、

 もの凄い俯瞰してみてしまっている

 菅さんが原発視察に行ったことが何とかかんとか言っているけれど

 それは今すべきことではないのではないかしら

 法律で定められている、民主主義を守るとか言って

 浦安の現状は無視か

 浦安だって未曾有の事態だぞ

 

 否定的な言葉ばかりを連ねていて

 でも何をすることが何をすることより【より善い】のかがやっぱり分からず右往左往するだけ


 私には私だけの苦味がある

 君には君だけの痛みがある


 認め合えるのは、ホントはそこだけで

 それは誰も否定してはならなくて


 ただ生きていくために、必要なものが不足しているなら

 身を削って渡し

 お互いが生きていけるように調整する

 できるのは、そんなことだけで



 日毎に、東北から物理的距離以上離れて行っているようで

 それが、酷く怖い

 冷たい女だなー

 昨日の池上さんの番組にて


 阪神のときは、震災から数日経った後に、取材に対して拒絶的であった

 (プライバシーや疲労などだろう)

 今回の震災では、テレビやネットで積極的に安否を知らせて欲しい

 という人が大勢いた


 ということについて


 一概に【進歩】したとは、私は思わない

 ネットの普及による、個人(情報)の希薄化の顕著ではないかと思う

 振り込め詐欺がこれだけ騒がれているのに、

 犯罪に対する安全神話を、まだ信じているのか、と

 人災が少ない少ないと、世界から褒め? られているけれど、

 小さな犯罪を阻止する力がないことも、現われていると思う

 義援金を強奪する、というのは最低の犯罪だとは思う

 けれど、それが日本では起きない、と勝手に信じているのは

 良くないと、私は思う

 日本は昔からそういう国だったから

 どうだろうか、昔から日本ででも犯罪は起きているし、

 関東大震災の時は火事場泥棒などが横行したそうだし


 テレビとネットが手を取り合って

 ツイッター、SNSなどの活用


 そんなに力を分散させて、

 ツールばかり強くなって、

 人が弱くなっていっているようで、

 私はそこが怖い

さまようだけの時も

 【MIDDLE OF NOWHERE】By DREAMS COME TRUE


 一日も早い復興を、

 と、祈るように唱えているけれど、

 復興って、何をもって復興というのかを示してくれる人に、

 私はまだ会ってない


 みんながちゃんとご飯食べて寝るところ、生活する家があって、着替えもできた時?

 瓦礫が撤去された時?

 壊滅した場所に、再び街ができた時?


 今、ひとつになる時

 みんなで力を合わせよう

 そして、何をするの?


 手を差し伸べたくても、何をすればいいか、何は逆に迷惑になるか、

 それがまずわからないもどかしさは、

 こういうところから生まれるんじゃないのか



被災地、被災者


 という言葉は、可哀想と同義なのではないかと思った

 だから私はもう使わない

 東北だけ、どうこうしてるんじゃない

 むしろ、そこがみんな同じ、なのではないかな


 昨日、朝のニュースを観ていたら、

 家が流されたけれど、その土地を離れないと決めた家族がインタビューに答えてて、

 12・3歳くらいの男の子が、

「ここにいたいから」

 といった時、リポーターが

「どうして?」

 ……

 イヤ、待てよ

 あまりにも愚問で、言葉にならなかった

 そんな厚顔無恥なことを、堂々と言える

 それによって、少なからず傷ついたり、不快な思いをする人がいるだろう

 言葉には、力があるって、

 特に報道陣は今一度こころに刻み込んで欲しい

 センバツ、東北高校、よくやった

 

 そして私は、大垣日大の子たちにも、よく頑張ったと褒めてあげよう


 東北の子たちは、自分たちが今野球をしていていいのかという葛藤があっただろう

 そういう気持ちをわかってて、精一杯で闘った大垣日大の子たちも、また大きな葛藤があっただろう


 君たちのその闘いは、また新たな光となったさ

 よくがんばった

 偉いぞ

 すげーぞ!!

 大垣日大の子たちは、引き続き、精一杯野球して来い!




 そんな文章のあとで申し訳ないのですが、

 ニュースやネットで、イラッとしたので、調べてみました


原発事故報道で頻出“ベクレル”と“シーベルト”の違いとは

 ベクレルは物質が放射線を「出す」量。

 1秒間に1個の核分裂が起きて放射線が出る量が1ベクレルだ。

 これに対し、放射線を「受ける」量(吸収エネルギー)はグレイという単位が使われるが、

 人体への影響をはかるためには、単に受けるエネルギー量ではなく、

 放射線の種類ごとに、その量をはかる必要がある。

 種類により体に与える影響が違うからだ。

 それを加味し、「体への影響」を数値化したものがシーベルトだ。

 例えば、原発事故などで多く発生するベータ線やガンマ線では、1グレイ=1シーベルトだが、

 アルファ線ならば1グレイ=20シーベルトである。

 アルファ線は飛ぶ粒子の質量が大きいなどの理由で、

 1つの放射線が人体に与えるダメージが大きいからである。

※週刊ポスト2011年4月8日号

 おそらく、厳密に言った場合にこういう違いがあるのですよ

 ということをやたらと使おう使おうとする風潮なんだろうと思うけど、

 昨日までシーベルトと言っていたのに、いきなりベクレルと言い出されたら、

 こちとら、ハアン? となるやないですか!!!

 というか、1シーベルトは1マイクロシーベルトや1ミリシーベルトよりも高い値なの!?


 池上さんのニュースがわかりやすいのは、

 私たちがわからないであろうことを、池上さんがピンポイントで説明してくれるからだろう

 確かに、ニュースは起こった事実をできるだけ正確に伝えなくてはいけない

 ましてや、原発のしくみは一朝一夕に私たちが理解できるような簡単なものじゃない

 前にも書いたけれど、今回の事故そのものに対して、私は東電だけの責任ではないと思う

 原発を作ったのも日本で、原発の電力で生きてきたのも日本で、

 それを否定するなら、戦後から今までの日本を否定することになってしまう

 安全神話は崩れた

 じゃあ、どうする?

 東電に求めているのは、既に起きている原発の事故にどのように対応し、治めていくかであって

 もちろんそこには真摯な姿勢が求められる

 そこをうやむやにするから叩かれるんだよ

 想定を超えていた、とはいい訳だ

 なんて煽り立てられているが、

 そもそもこの震災が想定外だったのだもの

 地震大国でそれでも高層ビルを作り続ける日本で、あなたたちだけが悪者なんじゃない

 というか、今は国民に悪者と思われても何でもいいから、

 自分たちがまず落ち着いて、冷静に事態を国民に伝えてください

 そういう姿勢でしか、何も伝わりません



 色んな闘いの中、

 どうやら東京で、今年もさくらが開花したそうです

 ソメイヨシノは接木で増えてて、日本のどこのソメイヨシノも同じDNAを持っているんですって

 18の時、ちょっとだけ行ってた大学で聴いた話

 未だに覚えてる

 

 今年のさくらは、一概に喜べないけれど、 

 それでもその輝かしさに、たくさんパワーをもらえるでしょう

 だから、悲しさは全部この曲に託してしまおう


【めまい】By DREAMS COME TRUE

 こんな こんな桜を 二人で 見られなかった 涙が出てくる

 ほんとにきれい すごくきれいで 今までで一番悲しい

津波てんでんこ

 死者・行方不明者が1200人以上に上った釜石市では、全小中学生約2900人のうち、地震があった3月11日に早退や病欠をした5人の死亡が確認された。しかし、それ以外の児童・生徒については、ほぼ全員の無事が確認された。

 市は2005年から専門家を招いて子供たちへの防災教育に力を入れており、その一つが「てんでんこ」だった。度々津波に襲われた苦い歴史から生まれた言葉で、「津波の時は親子であっても構うな。一人ひとりがてんでばらばらになっても早く高台へ行け」という意味を持つ。

 学期末の短縮授業で184人の全校児童のうち約8割が下校していた市立釜石小。山側を除くほとんどの学区が津波にのまれたが、児童全員が無事だった。学校近くの住宅街で友人と遊んでいた同小6年の藤元響希(ひびき)君(12)は「家族や家が心配だったけど、無意識に高い方に走って逃げた」。その後、避難所で家族と再会できた。 (Yahooニュース)




 被災地を離れ疎開することに、個人での迷い・不安だけでなく、

 コミュニティーを捨てていく、という問題が多くのしかかっている

 一度離れた人は、もう戻ってくるなと


 私は東京生まれ東京育ちで、

 小さい頃は近所の小さい商店街のお祭りにいったり、ラジオ体操行ったり、お神輿担いだり、してたけど

 そこから引っ越したところでは、隣の人すら知らない生活

 それは今の家でも

 だから、上っ面のことしか言えない

 不快に思う方がいらっしゃったら、申し訳ないと思う


 でもさ、

 てんでんこで、逃げて、生き延びたんじゃない

被災地からてんでんこで出て行って、そんで生きてくれるなら、

 それでいいじゃない

 出てくのも留まるのもどちらも計り知れない苦労がある

 

 それだけじゃないんだよ

 こんなこと言ったら怒られそうだけど

 後方支援、という名の下で、三度三度ご飯が食べれて、お店も開いてて、しようと思えば贅沢のできるこの暮らしをしていて、いいのか、と私は悩む

 体調が万全じゃない、お金がない、なんて言い訳なんだろうかな


 エールを送る

 ことも確かによいグルーブを生むためのツール足りえると思う

 一方で、何やってんだよ自分、と思う


 罪悪感を背負うことは楽なことじゃない


 てんでんこで、逃げといで

 と、私は思う