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25年間分のありがとうをあなたに。
311という日があり、そこでまた自分がどうやって生きていくのか、今私にできることは何かと悩み、当面の目標は決まりました。
というか早急の目標は3月までにまとまったお金が必要。

26歳という、もう絶対子供ではなく、しかし世間さまからは若いと言われるお年頃に相応しく、計画的にチャレンジをしていきたいと思います。

体調は三歩歩いて二歩下がっています。夏以来意識消失はありません。しかし今までのスパンでは、今が大体半年なので、寝不足や疲れなど、自分の調子に気をつけてまいります。
 外に出るのはやっぱりまだしんどいです。動機、めまいだけならまだしも、涙ぐむのはどうしたものか。
台風以来全然働けなかったのですが、12月に入ってからまた派遣でちょっとずつ働いてます。(ぶっちゃけ金がない)
久しぶりに環境の良い現場に出会い、喜ばしい限りです。可愛いお兄さんにも出会い何とか仲良くなりたいなとか不純な動機で仕事を入れてます。
当面、いっぱいいっぱいだからそーゆーのいいやと思ってたのに、世の中儘ならないですね。全くもう。若干一目惚れだけど、え、一目惚れするもんじゃないの?

 分相応、になりたいと思うのです。マイナスな響きを持つ節もありますが、尊大でももちろんなく、卑下することもなく、私という器に合う自分になりたい。
 やっぱりすぐに(どうせ私は)って思ってしまうのですが、卑下することで甘えたくない。怖いし難しいのですが。

さて、25歳も頑張りましたと26歳も気合い入れるぜということで、今日は大好きな劇団桟敷童子の舞台を見に行きました。指定席にしました。スペシャルな日だから(笑)
なーみだーがとまらなーいーのー。
見終わって泣き伏しそうになった。
すげー色々泣いたけど、ちょっと今全然言葉になりません。
—紅夢漂流譚—
スカイツリーの近くの倉庫で28日までやってます。
是非今年の泣き納めに!!
松田賢二がいい男だという理由でも可(笑)
とにかく行ってこいやー!!!!!!
ああ、しかも来年、私が初めて観た軍鶏307の再演とか、もうどうしよう!!!?

愛というものがもしあるとしたら、それは生きるということだと私は思う。

 参戦してきた。

 なんかもう、うれしくてしあわせでどうしようもなくて、それなのにライトスティックについているくじに当たっちゃって、特別なバッヂを貰ってしまったり。その時点で泣きそうになってた。

 西日がもろに差す席で、(味の素スタジアムだから野外)暑さもハンパなかったし、17時スタートであとちょっとで陽が沈むのだけどまだ眩しいと思ってたら、

――ダンッダカダカダンッダンッ

 びっくりするくらいに陽のことなんて忘れてた。

 ドリが二人で現われて、美和ちゃんが口開いたら泣くからなんかちょっと黙っててそれがすごいキュートだなと思いながら、私は久しぶりにボロ泣きして。美和ちゃんと一緒に歌いたいんだけど、込みあげて来る思いで喉がつまって、美和ちゃんと同じように声を詰まらせていた。キュートじゃないけど。

 あまりにも時間が早くて。

 こんなにこんなにしあわせにしてもらった。ドリの愛は東日本ワンダーベイビーズが全部引き受けた。だからその愛を私たちから日本に世界に届けよう。


 細かい愛をたくさん書こうとしてたんだけど、やっぱりやめた。

 あ、でも一つだけ。

 人と繋がりたくなった。今までこうやってご縁があって出会った人のしあわせを願ったり、もう会えない人のことをふと思ったり。そんで、2011のDWLで20代最後。次はなんと三十路。その時までにスーくんみたいなさ、共白髪パートナーを見つけて一緒に行きたいとドリに誓ってみた。



 さて、しばらくBLOGほぼ更新停止します。どうしても書きたいことや、写メとかUPしたい時は携帯からちょびっと更新するかもしれないけど、PCが本格的にお疲れさまで、一旦ネットを止めてしまいます。

 年明けか、少なくとも春までには何とかお金を溜め新しいPCを迎えたいと思っております。

 ホントはあとちょっと頑張ればPC代はひねり出せるんだけど、お金を貯める目的はPCではなく、通信の大学に通うため。オンデマンドの講義があってPC必須だから。だから先にPC代が貯まっても貯めときます。

 段々調子が良くなってきました。

 また春にお会いしましょう。


地球の細胞-遭遇マジックアワー平和島


 久しぶりに、休憩中起こされるまで爆睡してしまった。恥ずかしい。

 それでも仕事は頑張って、ちょっと早く上がれたからこそ、マジックアワーに出会えました。

 しあわせ。

「バカチョンカメラだからね、あ、バカチョンって言っちゃいけないんだけど」


「センソー、ハワイハワイ軍艦、軍艦軍艦チョウセン」


「誕生日が阪神の震災のすぐ後で、祝ってもらえなかったです」


 10歳とか、そのくらいの頃の記憶。

 当時はその奥なんて考えもせず、でも何故か今も覚えている。

 ざらっとしていて引っかかる、ということでもなく、ただ記憶が鮮明だ。


 私は今25歳で、でも根付いている差別ってあるなとふと思った。



 ある出来事を描くにはそこに関わる人を緻密に描かなくてはいけない、という様な文章に触れ、例として村上春樹『アンダーグラウンド』が上げられていた。モト本屋として恥ずかしながら、高校時代に読んだハルキは理解不能でそれ以来敬遠していたこともあり、地下鉄サリンのノンフィクションであることすら知らなかった。結果として今知れて、興味を持ち、きちんと読めたからそういう巡り会わせだったのかもしれない。

 当時私は10歳で、阪神の時の記憶は全くなく、サリンの時はテレビで地下鉄が映されていたのだけ記憶にある。でも、すーっと通り過ぎていった。私の中のこちら側(普通)とは隔絶されていたからだろうか。

 カレーの事件とか、サカキバラとか、段々怖くなってくる。

 すごい衝撃だったのは9.11。その年の現代社会の夏休みの宿題で、この夏のニュースベスト10を選んでこようというのがあって、提出したすぐ後にこのテロ。たしか花火大開で圧死があったことを一位かそのくらいにしたと思う。私はその時、提出前なら間違えなくこれが一位だったよねと友達に言った。それは言ってさすがにちょっとざらっとした。その頃は私の家もぐちゃぐちゃになっていて、自分の部屋もないから、自分の勉強机だけが自分のスペースで、ご飯もそこで一人で食べると言うまあまあ酷い環境で、もちろんテレビを見に茶の間にいくなんてことはない。だから年末の現社の試験でアルカイーダすら書けなかった。


 地震や津波ではどうしても弱い人が死んでいく。

 アンダーグラウンドを読んで一番きつかったのは、当時の年齢が今の私と同じくらいの人が何人もいること。

 天災と人災の違いはやっぱりあるなと変に考える。人災は、歪んでいる。


 脱原発と声を揃えて言う人たち。原発を再稼動させようとする人たち。あいまいにしていられると思っている政治家たち。

 原子力が悪いということではないと思う。だったらすぐに反物質をタブーにしなくてはならないと思う。

 エイズの被害がまさに先進国から広がり、後々の国々に理解してもらえないと言う。エネルギーもきっと同じことになると思う。先に行く国は脱原発をして、これから原発を興そうという人たちにしたり顔でそれは良くないんですよという。おいしい思いは最初にしか得れない。


 8/15は私たち日本人にとって終戦という名前を便宜上つけた区切り。でも北方領土はこの後5・6日で更なる悲劇が起きる。悲劇としか言えない。ロシアが攻めてくるといって集団自決する10代の女の子。

 でも世界から見たらこの日は意味のある日なのだろうか。戦局を外側から見たら、日本が負けることはもっと前から分かっていたのではないだろうか。戦争を終えることが私たち日本にはできなかったからその日が必要であって、第二次世界大戦は8/15よりも前に終わっていたのかもしれない。やはり原爆の前にその日をむかえたかった。


 麻原のことを狂っていると、頭がおかしいと言うのは10文字で足りる。そうやって社会から抹消することで安心して暮らせる日本を取り戻せると無意識でおもっているのだと思う。日本社会という混沌としたものが。ふと地下鉄で足元を見ていると、座席の下に空洞があり全く同じテロが起きても防げないのではないのかと考えた。包んでいる物が新聞ではなく布に変わっただけでわからないんじゃないかと。

 あの麻原のような人物がまた社会の歪んだところから生まれた時、こちら側もあちら側もまた悲劇しか生まないのだろうな。

 私はその歪みから目を逸らしたくない。下手すれば足元をすくわれそうな不安定な私だが。

 社会、という化け物に溶け込んで色んなことを仕方ないと言っているうちは何も変われないし、変わらないとこの世のものは朽ちるだけだと私は思う。せめて私がその化け物の一部であり、化け物全体の姿かたちとしての私であるとか、ソレから生まれる歪みとか、感じていたいし、ちくちくと痛み続けたい。

 仕方がない、と言っていいことはないんだろうな。

 どうしようもなかった、コトはあると思う。それは起こってしまったことだから、もうどうすることもできない。

 でも今起きていることでどうすることもできないことはないんだろうな。


 しかし物事はそんなにいっぺんにできないから、私は脱原発よりとりあえず今生きている人のケアとか、衣食住とかがれきの撤去、除染が優先された方がいいなと思う。

 確かにいつ東海とかに巨大地震が起きないともわからない。

 ただ、今あまりにも原発ばかりに関心がいって、津波とか地盤沈下とかそういう被害がどんどん遠くなっていることが怖い。1万5千人の死が、遠い。もうそんなに痛くない。だからせめて私は自分の力で立って生きていけたらいいなと思う。いつになるかわからないけれど。

 こんなに私の人生の中で大きな出来事だと思っているし考えているし感じているのに、何かもう遠い。でもきちんと手を伸ばしたら触れられる距離にいる。一番大事なのは、その手は意識しないとすぐに〔お留守〕になってしまうこと。忘れないように見捨てないようにしようとしなければ〔無かったこと〕に簡単になってしまう。

 最大の敵は忘却だ。

(バラティエ出たときより泣いてる感じで)


3月のライオン 6巻

 言葉にならない。

 目頭が熱くなる。鳥肌立つ。

 言葉にならない良いものも悪いものも含んだ熱の塊が内臓にある。

 言葉にならない。


銀の匙 1巻

 一緒に考えていきたいテーマだ。

 楽しみだ。



天地明察

 出始めに買っていたが、すごい期待をしていて中々読まないままいつの間にか本屋大賞。

 序章や第一章はすーごく好き。

 題材が面白かったし、全然知らないことだったから、知るという楽しみもあった。

 おっちゃんたちが好きだ。保科正之が好きだ。

 が、だからこそ尻すぼみになっている印象が私は強い。


 ちょっとネタバレ混じりに。


 時代物を書くという取組みを、編集? 担当? と一緒にやって欲しかった。

 神道を学んだ春海が「神に祈りたい」はおかしいだろう。一神教じゃないのだから。神々じゃ据わりが悪いなら、それこそ「天」でよかったのではないか。

 江戸時代に本邦を「日本」というのが、いささか違和感を感じた。

 現代という言葉を一回出してしまっていて、その次から「後の」となっているけど、そこで一気に物語から現実に戻された。アレは大失態だと思う。

 ラノベ出身だなと随所に感じる。難しい言葉を使いたいよね。でも所々日本語間違っていると私は思ったのだけれど。

 一番面白かったのは「絶海に立っているような」って、海の上に立てねーし。言いたいことはすごくわかるんだけど。

 あと「からん、ころん」がすーごく素敵だからこそ、他の擬音は出しちゃならないだろうと強く思った!!!

 これは推敲なり編集なりで改善できる点だと思うので、勿体ないなと思った。


 春海がとても特徴的で味があるキャラクターでその分、あ、コレ作者そのままの切り口だ、というような春海らしからぬ考え方がちょっとだけあったように感じて、そこだけ気になってしまった。


 えんのキャラが強すぎて、

(えんはことの代わりなの? ことがえんの代わりなの?)

 女の目線としてそういう扱いをしているように感じてしまった。釈然としない。

 えんに惚れているという設定にするなら、もっとことを丁寧に描かないと、ちょっと春海、男としてどうなの? と私は思った。


 登場人物をすごく大切にしていて、一人ひとりの死まで描いているというのは伝わってきて、作者に好感は持てるのだけれど、文章表現としてくどいなと感じた。

 とくに勝負が終わった後のくだりは、ぐだぐだされて気持ちが悪い。

 せっかく春海をあんな素敵かわいいおっちゃんにしたのに、それをほとんど出さないと言うなら、二度目の「天地明察」で切るとか、淡々と死という事実だけ書き連ねるとか、中途半端に感傷に浸されて最期はえんと一緒に死にましたっていうのも、あ、本の中の話だなって私との間に壁を感じる終り方と思ってしまった。

 最初がすごい良かった分、多分関に期待しすぎて意外と普通だったっていう肩透かし辺りから、だんだん離れて行ってしまった気がする。

 すごく期待して読んだ分、そしてもっと良くなると感じた分、ケツに向けて、んーしゅるんとしていった。


 映画のビューティフル・マインドは大ラスがホントに素晴らしくて、何度観てもあのスピーチで泣くのだけれど、好みの問題かもしれない。でも私はああいう終りがすごい好きだ。ひとつの作品の終りというのはその作品を大きく左右するのだやはり。


 と言いたい放題言ってしまったが、もっと貪欲に良い作品を作っていただいて、単純に文章力をつけていただいて、もう何年か後に期待しとります。(偉そうに)