「バカチョンカメラだからね、あ、バカチョンって言っちゃいけないんだけど」
「センソー、ハワイハワイ軍艦、軍艦軍艦チョウセン」
「誕生日が阪神の震災のすぐ後で、祝ってもらえなかったです」
10歳とか、そのくらいの頃の記憶。
当時はその奥なんて考えもせず、でも何故か今も覚えている。
ざらっとしていて引っかかる、ということでもなく、ただ記憶が鮮明だ。
私は今25歳で、でも根付いている差別ってあるなとふと思った。
ある出来事を描くにはそこに関わる人を緻密に描かなくてはいけない、という様な文章に触れ、例として村上春樹『アンダーグラウンド』が上げられていた。モト本屋として恥ずかしながら、高校時代に読んだハルキは理解不能でそれ以来敬遠していたこともあり、地下鉄サリンのノンフィクションであることすら知らなかった。結果として今知れて、興味を持ち、きちんと読めたからそういう巡り会わせだったのかもしれない。
当時私は10歳で、阪神の時の記憶は全くなく、サリンの時はテレビで地下鉄が映されていたのだけ記憶にある。でも、すーっと通り過ぎていった。私の中のこちら側(普通)とは隔絶されていたからだろうか。
カレーの事件とか、サカキバラとか、段々怖くなってくる。
すごい衝撃だったのは9.11。その年の現代社会の夏休みの宿題で、この夏のニュースベスト10を選んでこようというのがあって、提出したすぐ後にこのテロ。たしか花火大開で圧死があったことを一位かそのくらいにしたと思う。私はその時、提出前なら間違えなくこれが一位だったよねと友達に言った。それは言ってさすがにちょっとざらっとした。その頃は私の家もぐちゃぐちゃになっていて、自分の部屋もないから、自分の勉強机だけが自分のスペースで、ご飯もそこで一人で食べると言うまあまあ酷い環境で、もちろんテレビを見に茶の間にいくなんてことはない。だから年末の現社の試験でアルカイーダすら書けなかった。
地震や津波ではどうしても弱い人が死んでいく。
アンダーグラウンドを読んで一番きつかったのは、当時の年齢が今の私と同じくらいの人が何人もいること。
天災と人災の違いはやっぱりあるなと変に考える。人災は、歪んでいる。
脱原発と声を揃えて言う人たち。原発を再稼動させようとする人たち。あいまいにしていられると思っている政治家たち。
原子力が悪いということではないと思う。だったらすぐに反物質をタブーにしなくてはならないと思う。
エイズの被害がまさに先進国から広がり、後々の国々に理解してもらえないと言う。エネルギーもきっと同じことになると思う。先に行く国は脱原発をして、これから原発を興そうという人たちにしたり顔でそれは良くないんですよという。おいしい思いは最初にしか得れない。
8/15は私たち日本人にとって終戦という名前を便宜上つけた区切り。でも北方領土はこの後5・6日で更なる悲劇が起きる。悲劇としか言えない。ロシアが攻めてくるといって集団自決する10代の女の子。
でも世界から見たらこの日は意味のある日なのだろうか。戦局を外側から見たら、日本が負けることはもっと前から分かっていたのではないだろうか。戦争を終えることが私たち日本にはできなかったからその日が必要であって、第二次世界大戦は8/15よりも前に終わっていたのかもしれない。やはり原爆の前にその日をむかえたかった。
麻原のことを狂っていると、頭がおかしいと言うのは10文字で足りる。そうやって社会から抹消することで安心して暮らせる日本を取り戻せると無意識でおもっているのだと思う。日本社会という混沌としたものが。ふと地下鉄で足元を見ていると、座席の下に空洞があり全く同じテロが起きても防げないのではないのかと考えた。包んでいる物が新聞ではなく布に変わっただけでわからないんじゃないかと。
あの麻原のような人物がまた社会の歪んだところから生まれた時、こちら側もあちら側もまた悲劇しか生まないのだろうな。
私はその歪みから目を逸らしたくない。下手すれば足元をすくわれそうな不安定な私だが。
社会、という化け物に溶け込んで色んなことを仕方ないと言っているうちは何も変われないし、変わらないとこの世のものは朽ちるだけだと私は思う。せめて私がその化け物の一部であり、化け物全体の姿かたちとしての私であるとか、ソレから生まれる歪みとか、感じていたいし、ちくちくと痛み続けたい。
仕方がない、と言っていいことはないんだろうな。
どうしようもなかった、コトはあると思う。それは起こってしまったことだから、もうどうすることもできない。
でも今起きていることでどうすることもできないことはないんだろうな。
しかし物事はそんなにいっぺんにできないから、私は脱原発よりとりあえず今生きている人のケアとか、衣食住とかがれきの撤去、除染が優先された方がいいなと思う。
確かにいつ東海とかに巨大地震が起きないともわからない。
ただ、今あまりにも原発ばかりに関心がいって、津波とか地盤沈下とかそういう被害がどんどん遠くなっていることが怖い。1万5千人の死が、遠い。もうそんなに痛くない。だからせめて私は自分の力で立って生きていけたらいいなと思う。いつになるかわからないけれど。
こんなに私の人生の中で大きな出来事だと思っているし考えているし感じているのに、何かもう遠い。でもきちんと手を伸ばしたら触れられる距離にいる。一番大事なのは、その手は意識しないとすぐに〔お留守〕になってしまうこと。忘れないように見捨てないようにしようとしなければ〔無かったこと〕に簡単になってしまう。
最大の敵は忘却だ。