NOT MY PC!!!!!!!!


 引き続き実家です。

 メンタルの先生に書いてもらった紹介状を持っていざ病院。採血尿検査心電図を調べてもらいましたが異常なしとのこと。貧血は引き続きちょっと出てるみたいだけれど。

 週明けたらMRIと脳波を調べてもらいます。

 むしろさっさと原因がわかってくれないと、こちらとしても何に気をつければいいのかわからないから困る。

 眉間にビシーっと傷はいってるし、眼鏡曲がってるし、左膝上にでかい痣できてるし、痣はないけど右膝上も若干痛いし、顎も何でか痛いし、舌もちょっと噛んでるし、唇も噛んでるしと、倒れたのが自分の家だったのは運が良かったのか??? 計りかねます。


 その暇な待ち時間に、昨日のうちに買い込んでおいた本を読みました。

 実家の近所にはちっちゃな本屋さんしかなくて、読んでみたかった本はそんな時に置いてなく、一時間以上悩んだ末に、


砂漠 伊坂幸太郎

 期待値が高すぎたのかな。

 フィッシュ・ストーリーは本当に好きすぎてサカナと名乗るくらいだけれど、基本的に伊坂作品の、悲劇的要素、をドラマチックに取り入れる傾向が好みではない。

 その好みじゃないのがなだれ込んでしまったかなと。

 それにしてもその前までの作品はほとんど読んでいた(もう五年くらい前だけど)が、緻密に入組んだ技巧、計算されつくされたような、それがほとんど見られなく、おやどうしたんだろうと。

 好みの問題だけれど、各々のキャラクターが立ちすぎて関係性が希薄だなと。せっかく仲間を描いているのに、可もなく不可もなくというか。

 なんか痒さを感じてしまう。いい子たちの話だなって。

 私の青春というものがそもそもどういうものかわからないが、こんな日々は過ごしていないから共感しえないのかしら。




 検査結果で何が出るかしらね。

 余命が宣告されても、慌てることはないジジ

ここ一年で2度飲み会で気を失って救急で運ばれた。
抗うつ剤とアルコールのせいなのかと思っていたけれど、
2回目の時に、てんかんって言われたことはないかと聞かれたりもした。

そしてもう昨日、
シチューを食べている時に意識を失った、ようだ。

気がついた時、というか、ものすごい吐き気と頭痛がして目が覚め、
最初は倒れたことに気づいてなくて(この辺が大分不明だが、ベッドで毛布をちゃんと掛けていた)、
眼鏡がないないと探したり、しばらく吐き気と頭痛と闘ってたりして、
ベッドから足を下ろした時、カーペットが湿っていて、よくよく見渡すとシチューが散乱床に皿が落ちている椅子が倒れてる頭からシチューを被っているそしてようやく床にシチューまみれになった眼鏡を発見。
トイレでえづいたら少し落ち着いて、実家にタクシーで行き、夜間で診療してもらってきた。

怖い。
打ち所が悪かったらもう死んでたかもしれない。


せっかく社会しようと決めたのに。
中々、試練が。
今日おんなじ病院で意識障害の検査をしてきます。
どうなることか全くわかりません。

 \9800で、うつを理解し乗り越えよう的なDVDを買った。

 とりあえずエゴグラムをやってみる。

 一時期大学生だった時に心理学の講座をとっていて、エゴグラムについて知っていた。

 逆に中途半端な知識が若干判断を左右させた。

 こうでありたい私

 ↑

 こうであってはいけない(希望的選択)

 ↑

 をしては意味がないと超現実視(もはや矢印の勢いは止まらない。自分がドコだかもわからない)

 という自意識のループを回っている時点でもはやW型なのは明らかなのだけれど。


 W型、だとイヤだなって思うのに、私はどうしてW型。

過ぎたるは猶及ばざるが如し

 しばらく座右の銘にしましょうか。

 中学の校長の

私もやるから君もやれ

 って言葉が、でもやっぱり大事かな。


 それでいいよって思えないのに、妥協したくない。

 他人に対しては大分寛容になった。自覚して意識して生活してたから。

 でも自分を動かせるのは自分でしかない。

 どんなに周りの人に助けられても、好きな音楽小説映画諸々にPOWERを貰っても、

 受けとってどう動くかは自分判断。

 たとえ誰かにこうしてみたらと言われてそうしたとしても、そうするという判断を自分でしている。

 ここでいい、って着地地点を作り出してしまったら、その次に動けるか?

 私は腰が重いので、そんなことをしていたらあっという間に人生が終わっちまう。

 方向性を決めるのは、生きやすいと思うが、ゴールは誰でも死だと思う。

 身体的に死を迎えていなくても、精神がお疲れ様でしたってしゅんって消えちゃうんじゃないか。

 定年退職したような。

 閉経したような。


 尚且つ私はエントロピーの法則を持ちだそう。

 熱量は基本減る一方なのだ。

 だから頑張りすぎるなとかほどほどにということは生命の熱量を一気に減らすと早死にするよってことだと思う。

 職場をやめる時に、これからの長いあなたの人生の中で~って言葉をいただいたけど、

 なんで私の人生が長いの?

 悲観的でも否定的でもなく、純粋に疑問。

 何故長く生きなきゃいけないのか?

 そもそも、生きるって何だ?

 生物的には子孫繁栄がプログラムされていると言うが、

 生物の中に、人間って種族はあんまり勘定にいれられていない気がする。

 より優れた宇宙人とか来た時にどうするんだろう、というのは別のはなし。

 特に先進国、余裕がある(生物的に変だと思う。だって私たちも熱量を消費することしかできなくてそれは有限だから)故に選択肢がある、人たちに。

 子供を生むのが全てではないとか、家庭に入るとか入らないとか(ジェンダーが当たり前だけど深く関係してる。卵子と精子がなければ人間も滅亡してしまうからね)を嗜好で選ぶことができる。

 すると、何故生きているんだろう、という疑問にぶち当たるという構造。

 私は、遺すことだと思う。

 それは子供しかり、自分の生殖体から細胞分裂したこどもだけではなく、全、としか言いようがないんだけど、

 全てを遺すためにはたくさんの知恵、労力、技術様々なツールが必要で、それは一人ではまかないきれないからこれだけ多くの人がいて、

 その中で、何をするか選ぶ権利、が人権なんじゃないかと思う。

 人権を守るためにはまず知識を与える形態を確立しなくてはいけなくて。

 選択肢は無限にある。

 そのことにただ心血を注いで、こころと血、精神と身体、両方で私、死んでいくことがどうして不健康なことであろうか。


 私は今、これといった宗教は持っていないが、キリスト教が拙い中でも一番知識があると思う。

隣人を愛せよ

 という言葉が、私はすきで。

 私の人生はそこに尽きればいいなと思う。そうやって朽ち果てたい。

 理屈も理由も自意識さえなく、盲目的にでも開眼して。

 たぶん私は性悪説が根本にあると思っていて、たくさん懺悔をしたいんだと思う。


 がんばらなくていい、というのは、うつ状態を解消する言葉なのだろうか。

 がんばってたことが、間違ってたと言っていることにならないのだろうか。

 それでも踏ん張って死んでいくことは愚かなことですか?


 生きるということはそんなにた易いものではない


 何かを成し遂げられる人なんてそういない。

 だから、隣人のためにできることを精一杯する。

 でもそれは実はとても大変なこと。



 まだちょっと未消化だけれど、

 曇りすぎてて見えなくなってた自分の進みたい方向が見えた。

 うつは一つの通過ポイントでしかない。それだけ。結論。