ネットで知らない言葉の検索をすると、ほぼほぼ先頭にWikipediaが出てくる。wikiの在り方として、それを100%鵜呑みにしていい構造ではないが(専門家あるいは公式の発言ではないから)それを踏まえたうえで今ここに引っ張ってくる。

「発達障害」@Wikipedia
概説[編集]
 発達障害には、しばしば精神障害や知能的な障害、身体障害を伴う。1980年代以降、知的障害
の無い発達障害が社会に認知されるようになった。発達障害より知的障害のほうが広く知られているため、単に発達障害という場合は特に知的障害の無いものを指すことがある。
 本障害に含まれるのは全て「生物学的要因による障害」である。 
 発達障害は先天的もしくは、幼児期に疾患や外傷の後遺症により、発達に影響を及ぼしているものを指す。対して機能不全家族で育った児童が発達障害児と同様の行動パターンを見せる事がよくあるが、保護者から不良な養育を受けたことが理由の心理的な環境要因や教育が原因となったものは含めない。また、ある程度成長し、正常に発達したあとに、疾患・外傷により生じた後天的な脳の障害は発達障害とは呼ばれず、高次機能障害などと区別される。

→ 大阪維新の会:家庭教育支援条例案に批判続々- 毎日jp(毎日新聞) http://mainichi.jp/select/news/20120507k0000e010106000c.html

 橋本さんは某TVコメンテーターをしていた際、失言を繰り返していた。仮にも弁護士、発言が波紋を呼び、時には罰せられることがあるのは、おそらくそのパターンも知っているのではないか?(詰めが甘いの?)
 本来弱きを守る知恵を持っているはずの橋本さんは、一体どんな未来を創ろうとしているのだろうか。私にはどうしても、理不尽な目にあっている人を、理不尽な目にあって一般的ラインよりままならない、この"ままならない"と言う事実を「悪いこと」だと言う人に思えてならない。それこそ私の偏見というか、バイアスがかなりかかっている発言だけれど。(理不尽、についてはまた別個に考えを書きたいと思います。)
 橋本さんに限らず、一般的国民の範疇を一丁前に税金を納めている人から上、というような価値観主体で今の日本は治政が行われているのではないかと思う。だから(概念として広義の)主婦は、仕事をして賃金を得て納税しているひとより一つも二つも下にされる。男女差別について言っているのではない。子ども一人育てるの、親を看取るの、パートナーと苦楽をともにするの、賃金換算は0かもしれないがそれなしにどうやって社会が形成されるというのか。
 経済経済とばかり言うけれど、それは"交流"の結果であって交流そのものより価値があるものではないのではないだろうか。 
 そして今日も考えがぐるぐるしだしてきました。

 と、もう一つ、こんなドキュメンタリーを見ました。
世界は恐怖する 死の灰の正体(いきなり映像が再生されますのでご注意を)
 少々気がかりだったのですが、フクイチ事故当初の妊婦や子どもたちの放射能による人体への影響は何度も何度もくりかえし言われてきましたが、ちょうど私くらいの、自身は成熟した大人だがこれから妊娠・出産する20・30世代の生殖遺伝子? とかに影響はないのかと。
 マウス実験でとてもわかりやすい結果が提示されていたので視聴してみてください。
 原爆の被曝者のお母さん、第一子の女の子が小頭児で、子どもは二人三人欲しいけれど「怖い」と言っていた。
 3年4年5年後とかに、私はリアルタイムにそんな声を聞くのかもしれない。それは、とてもものすごく嫌だ。
 同時に、そうやって私たちがまき散らした放射能を背負って生まれてきた子、生まれてくる子を、"ままならない"ことが悪いこと・劣っていることだと差別するような社会にしてはいけない。
 原爆とは違うと誰かは言うかもしれない。違うのは規模であって、確実に今この空や大地や海、そこから繋がっている全ての生物に放射能を押し付けてしまったのだ。
 自分で書いてて怖くなってきてしまった。
 人の意見を聞く、あるいは事実を知ることより、自分の意見をのべることはものすごく怖いし、痛いと、改めて思った今日でした。



ぽちっと応援していただけると嬉しいです。

地球の細胞-ブログランキング and ブログランキング・にほんブログ村へ

 私のスタンスは<終原発>だ。
 原子力エネルギーに依存しなくなる社会は前提であって、地味で生産性のない<人間が引き起こした放射能汚染から地球を守るという>作業を30・40年、あるいは何千年も管理していかなくてはいかない。
 作業員と一言に言うけれど、こと放射能に関して作業するのに土木と同じような感覚ではできないだろうし、それについて知ることから始めなくてはいけない。作業員をどこから勧誘してくるのか、作業員の安全は、作業にあたって被曝した作業員のその後の生活や医療などの保障は、日本にあるすべての原発を(またその関連施設を)終息させるのを担う私たち、またこれからの子どもたち世代、その教育は……。
 一体、福島第一だけでも、延べ人数どのくらい必要なのか。
 そしてその作業員も、100%日本国民であることを、いまだ原発推進しているやはり日本国民の方たちは分かっているのだろうか。

 そしてもう一つ、脱エネルギー依存、を私は目指したい。自力でできることを自分でする、そういう意味で自家発電、地産地消。
 立地地域の感情や経済の問題には、この記事では触れていません、ごめんなさい。

 さらにもう一つだけ。私は原発輸出に反対です



ぽちっと応援していただけると嬉しいです。

地球の細胞-ブログランキング and ブログランキング・にほんブログ村へ

だすけ、まいね

 お久しぶりです、魚乃文です。
 やっとこさネット環境が整いました、少し前に。
 猛烈に何かを書きたい気持ちと、何も言葉にならないジレンマのまま、ついに久しぶりに記事を書いています。

 憲法記念日、今日はそういう日だ。
 お世話になっている東京新聞は、憲法と原発を絡めて違憲性があることをしてきする記事が一面トップ及び特集されている。
 少し前にこんな本を読んだ。

娘と話す 国家のしくみってなに?/レジス ドブレ
¥1,050 Amazon.co.jp

 高校生の娘との対話形式になっているが、日本の子どもたちはここまでの意見や疑問を抱けるほどに社会についての教育を受けられていないことを痛感した。
 私はここ何年か新聞を読みはじめて、やっと少しずつ学ぶ機会を得られた。
 高校時代、公民の教科書なんて薄っぺらいものだった。そのほんの数ページを、かみ砕いてかみ砕いて、やっとほんの少しだけ社会というものを知ったのは高校3年の春。社会主義と民主主義の違いを最初に教わった。も少し真面目に受けとけばよかったのは、選挙制度をすごく詳しく教えてもらったこと。今はもううろ覚えで、教科書もノートも捨ててしまった。
 授業の内容ももちろんだけれど、あのS先生は、当時粋がっていても本当に子どもだった私たちに、一人の人間として話をしてくださった。S先生に出会っていなかったら、私はこういう記事を書いたり、タツラーになることもなかっただろう。もっともっと時間が欲しかった。
 普段文章や新聞を読まない子には単語自体が馴染みが薄かったり、考え方そのものがわからなかったり、大変だと思うけれど、学生という時分が残っている、特に高校生に読んでもらいたかったりする。

 本日朝刊の記事は権利<幸福追求・生存権>を原発は脅かすと言っている。
 なんでだか妙に覚えていたS先生の言葉。何回も聞いたからだろうか。ならばさすがだとしか言えまい。
国民の不断の努力」「公共の福祉に反しない限り」憲法の一文の一部分だけ鮮やかに覚えている。 
 ↓Yahoo検索↓
第十二条
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 
 国が悪い、政府が悪い、原子力ムラ、東電、原発マネー。
 悪いと言っているものは、でも全部間違いなくこの国から生まれたもの。政治家なんて誰がなったって一緒だとうそぶきながら、橋本さんにメディアも市民も注目しているのは、それでもやっぱり変えることはできるからだと思っているからではないだろうか。
 そして市民とはそのような権利を持った存在だと上記本にはしつこく書いてある。同時に「国民の不断の努力」という言葉にすると簡単だがなんのこっちゃかわかりずらい一文を、生活レベルに落として語ってくれている。

 ちょっと今はこの本についてはものすごく中途半端でやめます。改めて整理してまた書きます。
 権利にはモラルやルールが問われるのではないかと、そんな風に私は思います。義務とか法律じゃなくて、本人の不断の努力によってのみ保持される概念に基づき、私たちは権利を行使する。(でも日本というものすごく恵まれている土地しか知らない、とても一辺倒な意見だとも思うのだけど。そういうところで迷う)

 書いているうちにどんどん迷っていく情けない文章でごめんなさい。
 権利ってドラえもんの四次元ポケットみたいにただ都合よく万能なpowerではないと私は思うから、そこからヤツラを引きずり降ろすのは難しいのではと感じた、という話でした。

 今更だけれど、私はブログ向きの文章は書けないのではと自問しながら、またちょいちょい書いていきたいです。

 通信大学、PSW―精神保健福祉士の資格取得をめざし、入学しました。全然勉強が進んでいません。
 年末からちょっとがんばってコンスタントに派遣に行ってたら、3月末にパタッとエネルギーが切れました。GW明けたらバイトを探さなくては。自分の食い扶持も確保できない私を、私はまだ許せずにいるのに、そんな私がどうやって福祉に向き合っていくのか。のた打ち回っていると思いますが、生温く、時に厳しく見ていてくださると嬉しいです。
 どんどんとっちらかった文章になりました。でも不惑にはまだ遠いのでよしとします。
 どうかまたよろしくおねがいします。



ぽちっと応援していただけると嬉しいです。

地球の細胞-ブログランキング and ブログランキング・にほんブログ村へ

一年というのが、何かの慰めになるのだろうか。何年経てば思いっきり笑っていいとか、次の恋をしていいとか、何か何も言えないんだけど、ほんの少しの区切りがついたらいいなって、思ってます。
苦くて辛くてしんどくて、一年が経ったから何だっつーんだ。ホント何だっつーんだ。私らこれからも生きていくんだから。
ただただ苦い。
しんどいと、いくらでも言ってください。抱えきれないものは放ってください。
なるべくでーんと構えているから、ね。
とにかく一日一日を無事に過ごせるように、ね。

ごめんね、何か全然無力で。
でも、すごくすごく想ってるから。


魚乃文
地球の細胞-2012010122480000.jpg

——慶春

私は、この年明けを喜ばしいことだと感じる。
こんなにも生きていることに惑い、生き方に迷い、自分の小ささと、でも私が生きていかなければならないとひたすら思い(結局は元居た所に戻ってるだけかもしれない)、闇雲に恐る恐るそれでも歩いた。とにかく進んだ。
乗り越えたからこそ新年を迎えることができ、それを共に喜べる人のいることに本当に感謝します。ありがとう。
今年も精一杯生きていこう。
みんなで、ね。