
皆さん
『週刊プレイボーイ』は買いましたか!?読みましたか!?
たかみなが熱~く
、敦~くあっちゃんのことを語ってくれてますね♪
10年間二人を見てきた者としたら涙なくしては読めません…







この雑誌は購入、立ち読み出来ない方もいるので
以下ネタバレになります
これから買う予定の方はここまで







表紙

橋本環奈ちゃんのグラビアページや袋とじには脇目も降らず
キッパリたかみなの“「卒業」までに語らせて”のページへ

上段

たかみなが卒業までの連載プロセスをよ~く考えているのが分かります。
最終回のゆいはん記事が今から楽しみですね♪
◆「卒業」までに語らせて 第2回 前田敦子
AKB48を語る上で、現役メンバーだけでなく、卒業メンバーについても語らなくちゃっと思いました。そして最初は、やっぱり敦子だろうって。
前田敦子。私にとっては、切っても切れない関係でした。何をやっても嫌いになれない人。
2012年。彼女が卒業する、あの年の敦子は神がかっていたと思います。圧倒するようなオーラをまとっていたし、かつ、触るのが怖いくらいな繊細さももっていた。
例えるならば、“繊細な爆弾”。いつ爆発するかわからない。そんな状態でした。
日に日に大きくなっていくAKB48という名詞。そのセンターとして立ち続けるプレッシャー。それにより、敦子はどんどん孤独になっていったし。時として、それが全体に緊張感となって広がってしまうこともありました。私自身も、敦子についていろいろ考えることもありました。でも、そういう気持ちもすべて吹っ飛ぶ瞬間があるんです。
例えば、2011年の西武ドームの2日目。AKB48のドキュメンタリー映画でも描かれた『フライングゲット』のとき。体調が最悪のなかで、ステージを務めて、AKB48の未来を指し示しました。

そういう普通じゃ考えられない“スター性”を持っていました。そんな敦子だったから、AKB48のセンターに立ち続けられたんだと思います。
本人の大変さは知っていたし、つらいだろうなってわかっていました。ーーーでも、当時にAKB48にとって、前田敦子はどうしても必要でした。彼女がいることで、当時のAKB48は輝いていたから。
敦子が他のメンバーに与えた影響も大きかったんです。
前田敦子と大島優子の物語
前田敦子と高橋みなみの関係性
前田敦子と板野友美
前田敦子と篠田麻里子
下段

多くのメンバーが、敦子との関係性のなかで輝いていった。前田敦子って、そういうコだったんです。すべてにおいて、当時の“軸”でした。
ーーー敦子本人は、その軸であることがつらかった。いってみれば、AKB48という大きな柱に縛りつけらていたようなものです。
だから、卒業が決まってからの敦子は、プレッシャーから放たれて本来の敦子に戻りました。だからこそ、あのときの敦子は、“AKB48”というものが、彼女をそうさせていたんだろうな思います。
当時は、そんな敦子と目まぐるしい日々を一緒に戦っていたから、いろんな感情を抱いてました。でも今は、もう感謝しかないんです。
ーーー今、私の卒業が決まり、敦子のことを考えます。
『前田敦子が、AKB48に残したものってなんだろう?』って。
それは、きっと“憧れ”。
当時のちっちゃな女のコたちは、あのときの『AKB48に入りたい』って憧れてくれてたと思うんです。みんな『マジすか学園』に出たいって思ってた。AKB48に憧れる理由を、前田敦子がつくってくれたんだと思います。
今、残された者として、敦子から学んだことを噛みしめてみる。そうすると………思うんです。『あのときはひとりで背負ってくれてたんだね。敦子しか背負えなかったんだよね』って。
敦子がいた当時のAKB48って、本当に大変だった。でも、ものすごく輝いていたし、ものすごく面白かった。“普通じゃないアイドル”をつくってくれたのが、前田敦子だったんだなって。
間違いなく、彼女はAKB48にとって大きな大きな存在でした。




記事を読みながら号泣。゚(T^T)゚。
ブログを作りながら号泣。゚(T^T)゚。
たかみなだからこそ書ける内容でしたね


あつみなにとって
AKB48が“思い出のほとんど”だったんでしょうか?
思い出のほとんどが“AKB48”だったんでしょうか?
1つ言えることは
私の思い出のほとんどは“あっちゃん”であり、“たかみな”であり、AKB48”である!!
どん!!
あつみなの絆よ永遠に♪
☆-( ^-゚)v