通勤電車の車中、ロングシートの一角に陣取り、新聞を広げる。

最近ではスマホをいじる姿に押されて、この光景も少なくなってきた。

筆者はスマホも触るが、いまだに新聞を広げ、記事を俯瞰するところから1日が始まっている。

ある日の読売新聞。
投稿欄に目が止まった。

13歳中学生の投稿。

「ありがとう」の反対語は、「あたりまえ」と書いてあった。

「ありがとう」が「あたりまえ」に辿り着くメカニズムが判らない。類推すらできない。

興味深く読み進んでいくと、ありがとうを漢字で書くと、「有り難う」となり、これを分解すると、有るのが難しいことと解釈されるそうである。

そう、有るのが難しいこと、つまり、滅多にないことを表しているそうである。

この反対の現象はというと、しょっちゅう有ること。毎日の暮らしの中で、いつも出くわすこと。つまり、あたりまえなことにつながるそうだ。

ありがとうの反対語は、あたりまえ。

ありがとうは、お礼や感謝のときに使う言葉。滅多にないことに出くわして感謝を表す。


なるほど。ようやく、腑に落ちた。

が、しかし、日々の普通の出来事には、

「あたりまえ」に、ゴルフができる。
「あたりまえ」に、仕事ができる。
「あたりまえ」に、酒が飲める。

いずれも、滅多にないことになってしまうと困ってしまうし、生きる彩りに翳りが浮かぶ。

となると、「あたりまえ」は感謝される側にいることになる。

反対語の関係にあるが、
「あたりまえ」にありがとう。

13歳の少年に学んだ。


ありがとう。