昇とハチ公のブログ

昇とハチ公のブログ

2つの生き方を選択する岐路に立っている自分のことを、ここに書いていこうと思います。

Amebaでブログを始めよう!
電車の広告で「スタンダール」という名前を目にした。

小学生の僕がスタンダールをなぜ知ったかというと、

野島伸司さんの「愛という名のもとに」というドラマにセリフで出てきたからじゃなかったかな。

小学生のころ、生意気に考えたことがある。

それを思い出した。

スタンダールの恋愛の定義について、

はじめは

「はー、そうなのか」

とか

「じゃ、これは恋じゃないのか」

とか

思った。

それからしばらくして、

スタンダールはなぜこのように定義付けることに至ったのかを考えた。

この定義で

自分の中の何かを救いたかったのかなと。

定義に当てはめることで

どれかの想いを恋にし、

どれかの想いを恋でなくし、

そんなことをしたのだろうかと

小学生の頃に思っていた。


そんなことをふと思い出した。


変な子だったな。昔から。


野島伸司作品が好きです。

野島伸司作品を好きな人をネットで見かけると、

自分と同じくどこかすこしクレイジーなんだろうなと

思うようにしています。
もっといっぱい歩いたったらよかった。

もっといっぱい一緒にいたらよかった。

もっといっぱい撫でてやれたらよかったな。

暑くても

寒くても

忙しくても

遠くても

もっと愛することができたのに。

今更、

今更思う。

今でも思う。

きっとどんだけ一緒にいられても

思ってたと思うけど。

ただただ一緒にいることの

意味を

君が教えてくれました。

今でも大好き。
今日は父の日でした。
父にLINEしかしてないけど。

教会で話を聞いて、
子供の頃のことを思い出した。

僕はたぶん
一人で過ごす時間があった方だと思う。

僕くらいの
「一人の時間を持つ子供」は
たぶんめずらしくないんだとは思う。

今日、思い出したのは、
たくさんビデオを観たなぁという
些細なことである。

スノーマンも
銀河鉄道の夜も
ディズニー(チップとデール、スモールワン、ピノキオ、アリスなどなど)も

よくあんなになんども観たなと思う。
いっつも観てた。

だからかなぁと思う。
今も好きなものは何回でも何回でも観たいし聴きたいと思う。
たぶんちょっと、クレイジーな域で。

そして
そのビデオを観る時間は
一人の時もあったけど
きっと半分以上は後ろでその背中を見ていてくれた父や母がいたんだろうなと
今日初めて思った。


その先輩は、

責められることなんか何にもないのに

「あの時、私は自分のことしか考えてなかった」

と言った。


そんなことなかったのは知っている。

頭のいい先輩だから、

僕より、他の誰より、

いろんなことを考えていた。

それでも、

そうせざるを得なかった気持ちも

本人が思っていたには敵わないが

わかっていた。


正直、

その先輩がいなくなることは

不安でいっぱいだった。


けど、

僕だって自分の尊敬する人をぞんざいに扱うような職場に

尽くすことなんてできないと思うから、

引き止めたいと思えなかった。


わかる

って気持ちと

それでも行かないで

って気持ちと


どちらもあって。


今だってその先輩がいてくれたら

どんなに楽しく不安なく仕事ができるだろうかと思う。


けど、

僕はもう先輩に頼ることではなく

自分がそんな人になれるようにを考えなくてはいけない。


到底、

その先輩には敵わない。

きっと背中を追って走っていくのだ。


遠くとも

引っ張るものも違っても

その背中を追って行こう。


自分のことを考えていいのに、

自分のことを考えたことについて、

そしてそれを後輩に向かって、

正直に話して謝ってまでくれた先輩に

恥じない後輩で居られるように。
ここ数年、「こうなりたい」とイメージしてしまっていたことは、

「『この人と働きたい』と思われる人間」

だった。

一昨年くらいから、思っている、ような気がする。
振り返れば。

ただそれは
職場の人間として求められる人物像
であって
仕事で実際に関わっていく方々にとっては
直接的に言えばなんの関係もない。

職場環境を整える。
新しい人を迎えること、
今いる仲間を減らさないこと、
今いる仲間の体や心にやさしいこと。

これによって僕個人ではなく、
職場全体で提供できることを安定、向上させる。

個人であれば、
資格を取る前に感じた
「『いないとできない』から『いなくても大丈夫』」
になりたい。

これも見直そう。どっちも一度、見直そうかな。