「清宮質文」展と「ふたしかなその日」展(と津田信夫展) | 断片の集積

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主にポルトガルでの生活について

清宮展とふたしかなその日展に行った。

 

清宮の魅力は色味だろう。

展覧会のフライヤーや清宮の作品集と見比べると本物の色味の良さは圧倒的だ。

また、モチーフは分かりやすいが非常に内面的な作品であることも引き込まれる要因だ。

清宮以外の作品も多くあり

「離れれば離れる程、抽象度が増す作品」(離れて見ると全体が溶け合い柔らかい印象だが、近寄って見ると細かい書き込みがたくさんなされている作品)と

「近寄れば近寄る程、抽象度が増す作品」(オブジェクトの一部を拡大して描いているので離れてみるとモチーフが何か分かるが、寄れば寄る程ただ絵の具の重なりだけが認識される作品)が近い場所に展示されていたのが印象的だった。

こういう作品を配したキュレーターの意図を考えていたが、家に帰ってもらってきた「清宮質文のことば」を読んだら

「父に、美とは無限感のことじゃないかときいたら、そうだ、と言うんですね。(中略)あとで、これは実存感とも同じであることをしりましたけれども」

とあり、なるほどなと。

 

「ふたしかなその日」展は写真の展覧会かと思っていたが、2階の中心に展示されていた、紙で出来た大量の寄せ棟屋根が天井からテグスで吊り下げられた作品(城戸みゆき)が印象的だった。屋根というオブジェクトだけを取り出したことよりも、大量の屋根の密度感に意識が向いた。離れて見れば、それは浮遊する青色の円形平面に見え、もう少し寄ってみるとそれらは小さいものの集合で出来ていることが分かり(屋根はわずかな空気の揺れを可視化しそれぞれに微かに揺れる)、さらに近づくことで瓦屋根がプリントされた紙を折ってつくられた屋根の模型だということが分かる。

 

この作品が面白かったのは別の作品にも影響を与えていると感じたからなのだが、城戸の作品の奥の正面の壁には川久保ジョイの3枚の写真が並べられており、城戸の作品越しに川久保の作品を見ると、城戸の屋根を吊るすための無数のテグスが川久保の写真と重なって見え、そのテグスは雨なのか(その雨には放射能が含まれているかもしれない)空気の粒子なのか三途の川なのかはたまた全く別のものなのかはわからないが、川久保の作品に働きかける確かなノイズになっていた。

川久保の作品は「結果としてあらわれた現象」を提示しその過程を想像させる作品だと思うが、川久保の作品と鑑賞者の間に置かれた(無数のテグスという)いやらしくないささやかなノイズは(その現象を起こすに至った)「過程」へとより強く思いを馳せさせる役割を果たしていたように思う。テグスのノイズが(川久保の作品における)ブラックボックスとなっている「過程」(それは作者ですら知ることの出来ない作品と鑑賞者との間にある断絶とも言える)を表現しているように思えた。

 

ある脆いものを取り込むことで「緊張感」と「循環する反復運動でありながら刻一刻と状況は変わっていること」を示した久門剛史のインスタレーションや2003年に撮られた楢橋朝子の写真もとても良かった。

 

話が前後するが清宮展が開催されている館林美術館は常設でポンポンの作品がいくつか展示されている。そちらも是非見たいと思いわざわざ館林まで赴いたのだ。

ポンポンという彫刻家のことはかなり昔から知っていたが、昔はそれほど興味はもっていなかった。それが変わったのは年始に津田信夫展を見たからである。日本のメタルアートの第一人者である津田はもともと写術的な作品をつくっていたが、渡欧しポンポンに師事した後、影響を受け作品が大きく変わる。

ということで、津田信夫展にもポンポンの作品が数点出展されていた訳だが、ポンポンと津田の差は圧倒的に感じた。

分かりやすく言えば、ポンポンは抽象化しているが津田は単純化しているにすぎない。単純化は出来ても抽象化は出来ない。いかに抽象化することが難しいのかが二人の作品を見比べると分かってしまう。

 

ポンポンと津田信夫、清宮質文展、ふたしかなその日展をみて感じたことは、抽象化するということは解像度を下げるということではないということ。

ものすごく解像度を上げていかないと抽象化は出来ない。

解像度を上げて抽象化することで多様な見方を許容できるし、どこから見ても見所のある作品になるということ。

 

3つの展覧会で、いずれも同じような所が気になった訳だから、きっと今の僕の興味がそこに向いているということなんだろう。

 

解像度を上げて抽象的な建築をつくる。

それは、ずっと考えているニュートラルな建築/多様な状況が生まれる背景となる空間を作ること、を実現させるために必要なことであり、それを言い換える言葉でもあるのだろう。

 

そうなってあらためて思うと、入口から一番奥の展示空間正面の壁で他の作品の背景となりながらも、しっかりとメッセージを発し、ともすれば当作品にとって邪魔でしかないものになりかねない他人の作品を吊るすためのテグスを、自分へ働きかけるノイズとして引き受け、目を向けさせてしまう川久保ジョイの作品の強度はすごい。