三浦春馬さんの速報を知ったのは本当に発表されてすぐのことだった。友達のストーリーを見て最初は全く理解できなかった。死、自殺なんて連想されないような、と俺は少なくとも思っていた人だったから。ちょうど自分の失敗のことで、三浦さんの抱えていたかもしれないものとは全く比べ物にならない俺の場合はちいさな話だけれど俺は落ち込んでた。そこにそんな速報が入り、なんかよくわからなくなった。
そして亡くなってからその直近の動画を無作為に見出す自分に対して、昔マイケルジャクソンが亡くなった時のことを思い出した。同じようなことをCDを買うような形でやっていたな、と。役者の厳しさ、正しさなんてものには答えなんてない、と軽々と言っていた自分にとって、その自由さがどれほど孤独で過酷なものかを僕はまだ知らないのだろう。今後知るのかもわからない。ただ、身の回りの頼れる人、自分を愛してくれる人は大事にしたい、それでもって正直にいたい、汚い部分を見せたとしても。誰だってどこかにそんな場所がないと、
死を思ってしまうこともありうるんじゃないだろうか。僕は恩師や家族との出来事があったおかげで少なくとも今まではないけれど。誰にでも起こりうることなんだと強く自分自身に念を押そう、そう思った、速報のあった日の出来事だ。
