・・・・・・・っということで、旅行に行く動機は各自様々なことは分かります。
しかし、ぼく自身が何で旅行が好きなのか、イマイチ分かりません。
少なくとも「自分探し」なんて、ナイーブなもんじゃないことだけは確かです。
「非日常性?」「好奇心?」「実体験?」「放浪癖?」「冒険?」・・・・どの理由もしっくりしていませんでした。
最近気付いたのです。
それは「物語」です。
ぼくは旅行に、物語を求めていたんじゃないか。
どういうことか。
人の人生にはいくつかの物語で語られます。
しかし、それは無理矢理に物語としてまとめているだけじゃないのでしょうか。
本当は物語なんかじゃない。
だって、物語には始まりと終わりが必ずあるはずだからです。
人間が生きている以上、物語は終わることなく続くのです。
例えば、成功物語。
起業して社長になった人は、いくぶん自慢げに成功物語として語ります。
しかし、今は調子よくても、明日倒産するかもしれません。
田中角栄は死んでしまったからこそ、彼の一生は物語として語られるのです。
総理大臣の絶頂期に彼が亡くなっていたら、成功者の物語として名が残ったことでしょう。
でも、ご存知のとおり、彼の人生物語は天下人と犯罪人のセットで語られるのです。
そう、ぼくが生きている限りぼくの物語は完結せずに続くのです。
どこを切り取っても物語にはなり得ません。
棺桶の蓋を閉めたときがぼくの物語の終わりなのです。
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もう分かっていただけたように、旅行には「始まりと終わり」があります。
ですから、旅行は物語になり得るのです。
日常生活から一時抜け出すからこそ、それが可能なのです。
完結しない物語の中に生きてきて、無意識にひとつの小品としての物語を旅行の中に求めているのです。
たぶんそうだと今の自分は分析しています。