・・・・・・・っということで、池田晶子さんが講演したときのテキスト。
ご存知、彼女は2007年に47歳という若さで亡くなっています。
この人、哲学者ではなく文筆家と呼んでくれと言ったそうですが、その気持ちは良く分かります。
本格的な(?)男性の哲学者はこりゃぁ哲学者とは認めんぞ!じゃないでしょうか。
だって、解り易すぎるし、多分に本能的な言葉遣いをしているから。
哲学って、眉間にシワを寄せて考えることと認識する立場からすると、こんな女性は哲学者の仲間に入れたくないって言うんじゃないでしょうか。
そういう男とは議論するだけ無駄と思ったので、文筆家だってイイやと彼女は思ったんじゃないでしょうか。
このあたりの事情は塩野七海さんと似ているところありますね。
彼女は歴史家と分類するには、あまりにも情緒的傾向が強すぎますから。
お二人とも哲学専攻だったことも偶然ですね。
しかし、男がなんと言おうとも、二人とも良く考え勉強しています。
伝える口調は平易ですが、内容は決して劣りません。
劣るどころか、平易な言葉を使って歴史・哲学を大衆化した功績は高く評価すべきです。
さて、この本は何回か分けて行われた講演会のテキストです。
彼女も書いているとおり、本来は行間に込められている意図も、講演会ですからかなり分かり易く説明を加えています。
その点、余計に読む人は彼女の論点が理解しやすかったんじゃないでしょうか。
彼女の着目点とその展開の過程が実に「女性らしさ」を意識させられます。
なんと言おうか、生理的といおうか、感覚的といおうか。
惜しい人を亡くしてしまいました。
本格的な(?)男性の哲学者はこりゃぁ哲学者とは認めんぞ!じゃないでしょうか。
だって、解り易すぎるし、多分に本能的な言葉遣いをしているから。
哲学って、眉間にシワを寄せて考えることと認識する立場からすると、こんな女性は哲学者の仲間に入れたくないって言うんじゃないでしょうか。
そういう男とは議論するだけ無駄と思ったので、文筆家だってイイやと彼女は思ったんじゃないでしょうか。
このあたりの事情は塩野七海さんと似ているところありますね。
彼女は歴史家と分類するには、あまりにも情緒的傾向が強すぎますから。
お二人とも哲学専攻だったことも偶然ですね。
しかし、男がなんと言おうとも、二人とも良く考え勉強しています。
伝える口調は平易ですが、内容は決して劣りません。
劣るどころか、平易な言葉を使って歴史・哲学を大衆化した功績は高く評価すべきです。
さて、この本は何回か分けて行われた講演会のテキストです。
彼女も書いているとおり、本来は行間に込められている意図も、講演会ですからかなり分かり易く説明を加えています。
その点、余計に読む人は彼女の論点が理解しやすかったんじゃないでしょうか。
彼女の着目点とその展開の過程が実に「女性らしさ」を意識させられます。
なんと言おうか、生理的といおうか、感覚的といおうか。
惜しい人を亡くしてしまいました。