今年のテーマは

「優雅」なのですが

 

そのテーマにそって

じっくり丁寧に生きることを

いつになく心がけている一年なんです。



 

料理を丁寧に作ったり

キッチンを綺麗にしたり

生活にも無理なく

丁寧さを持ち込み始めたのは

私の中では、

とてつもなく大きな良い変化なんですね。

 

が、どうにも、

元来の「バタバタ感」「ギリギリ感」が

顔を出す時があって、

 

周りの方にも、

「自分で自分の優雅さを殺している」

とも言われ、

 

なるほど、確かにな、と

ついに直面する時が来たな、と

ふと思ったのですが、

 

私は自分に

 

「優雅であって良い」という許可

出せていないんだ、と

気づきました。

 

 

 

 

ここまで気づいたら次。

何が、そういう思い込みを作ったのか?を

探求すること。

 

 

何が源(原因)なのだろうか、

と考えてみると。。。。

 

 

学校の休み時間。

どこからともなくヒソヒソと聞こえる声。

表立って面と向かっては言われない声。

 

「ひとみちゃんは、〇〇だからねー」

 

と、多分、〇〇には、

・お嬢様的な_

・世間知らず的な_

・嫌味を含んだ_

 

声が聞こえてくる。

 

本人は、私には聞こえていないと

思っているのかもしれないが、

 

自分の名前というのは

案外、雑音の中でも、

無意識にキャッチするものだ。

 

学校での女子のヒソヒソ声。

それは決まって、誰かの悪口。

 

 

その記憶の中の、何かしらの言葉を

当時は真に受けて、

 

 

なぜだか、

そこそこお金を持っている家庭に

生まれたことへの罪悪感

を持ち始めた。。。んだな。。。

 

 

 

だから、小学3年生くらいから

ぬぼーっとしてる(かつ、お喋り)お嬢なキャラから

ちょっとずつキャラを変えていき、

「カジュアルに振る舞おう!」

 

としてきた感じがする。。。

 

何だ、これ、

何だ、これ

何だ、これ。。。。!!

 

 

とすると、

私のガサツさとかズボラさとかは、、、

何だ?!

 

 

自分で意図的に作ったもので天性な訳ではないかも?

ってすると、自分で思っている「自分」って一体なんだ?

自分ってどこでどう形作られた?

 

 

と、無限ループに自分がわからなくなってきました笑

 

 

自分の良さを無意識に

自分で殺しているかもしれない

 

 

これも、他人の芝生は青く見えるからかな。

 

私もまだまだ修行が足りんな!