「御霊」とか「ハイヤーセルフ」と呼ばれる部分。
潜在意識を癒やす講座で得た知識からの考察。
「哀」の根幹
カウンセリングを受ける事になる直前あたりから
私は、それまでも1ヶ月に1度のペースでみる「悪夢」を
毎晩のように見るようになっていた。
それは、私と幼い妹が、手を繋いでエスカレーターに乗っているシーン。
なぜかそれは天空で、空へ向かう階段のよう。
そこから、突如、エスカレーターが壊れ、
妹がいた所の底だけが抜ける。
慌てて、私は妹の手をぐっと掴み、
彼女が落ちないように必死で捕まえる。
ダメだよ、絶対だよ、落ちるなんてあり得ない。
大丈夫、私が助けるから。私が守るから。
だけど、どうにも、私の力が尽きてしまう。
あ。。。。
そのシーンで目が覚める。
妹を落としたのは、 わたし・・・。
なんとも嫌な感触で目が覚めるこの悪夢は、
15歳ごろから続いていた。
当時、妹は10歳。
統合失調症と診断される前、
最初に彼女がおかしくなった時だ。
彼女がいじめにあっていたことを知っていた。
なかなかクラスに馴染めずにいたことも知っていた。
担任の先生は、彼女の理解者には
到底なり得ない人だということも知っていた。
学校の勉強に、ついていけていないことも知っていた。
天真爛漫さ、愛想の良さが取り柄だった彼女が
小学校の学年が上がるごとに、輝きが失われていくのを
他の誰よりも敏感に知っていた。
それなのに。
私は、彼女を守れなかった。
どうしてもっと、私は、
彼女の辛さを受け止めてあげて来なかったのか
ずっとずっと、SOSを出していたのに
ずっとずっと、何かを言いたそうだったのに
表現力のない彼女に代わって、
私が彼女の言いたいことを大人たちに通訳する、代弁者だったのに。
私は、彼女を守れなかった。
悔やんでも悔やんでも悔やんでも
一生、悔やみきれない、後悔の嵐。
どうしてももっとあの時、
話を聞いてやらなかったのか。
あの時もあの時もあの時も
あの子は何かを言いたそうだった。
あのあと、母も父も、
できることし尽くしていた。
何か前に進むことは、何もかもしていた。
でも、
あの子は、元の元気な妹は、
もう、戻ってこなかった。
母も悲しそうだった。
父も苦しそうだった。
母も、父も、一人で泣いていることを知っていた。
たくさんの葛藤の中にいることを知っていた。
ごめんなさい。ごめんなさい。
お母さんを幸せにできなくてごめんなさい。
お父さんを幸せにできなくてごめんなさい。
私がいるのに、あの子を守れなかったから。
私がいるのに、二人を幸せにできなくてごめんない。
ごめんなさい。ごめんなさい。
そうやって、ずっと、私は、
私の潜在意識は、家族に謝り続けていた。