パニック障害だとわかったとき
私は、いままで

悲しいことを「悲しい」と
辛いことを「辛い」と

表現してこなかったことに
気付いた。

いつも
私は、「平気だよ。」
という風だった。

本当に、自分は、「平気だ」と
思っていた。

誰にも多かれ少なかれ
悩みはあるし

私だけが嫌な体験をしている
わけじゃない。

もっともっと恵まれずに
育った人はたくさんいるし

私は、とても恵まれているんだ、と。
だから、私は、私に起きたことなんて、
私の人生に起きたことなんて、

「大したことない」

って、片付けたかった。


それは、いま思えば、
何かを体験した直後に、
私(A)が私の別人格(A')を作り上げ、

あたかも、A'が体験してきたことにみなして、「A'って、こんな体験したらしいよ」と、
Aが語っているかのようだった。

本当には、Aが体験してるんだけどね。
「自分の人生」っていう
受け止め方が出来てなかったんだね。

もし、この体験が自分の体験だったと
A'の体験じゃなくて、Aの体験だよ、
と突き付けられたら、
Aは、壊れてしまうかもしれないと
咄嗟に身を守っていたのかもしれない。


そんなわけで、
そのとき、ようやく、私は、
「A'の人生に起きたこと」は、

紛れもなく、
「自分の人生に起きたこと」
だと、気付いてしまったことから、

「悲しかった」場面
「辛かった」場面
「苦しかった」場面

それらが、初めて、
自分自身の「感情」として自覚された。

それまで押し留めていた
「感情のダム」が決壊した。


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