ウイリアム・テルが自分の息子の頭上に乗せられたリンゴを射抜いた日 | ◆日本の根底を支える50人以下の企業に最良の経営とITを届ける男

ウイリアム・テルが自分の息子の頭上に乗せられたリンゴを射抜いた日

おはようございます。FIRSTITPRO代表の川端です。


11月18日は、


「ウイリアム・テルが自分の息子の頭上に乗せられたリンゴを射抜いた日」(1307年)


なんだそうです。


ウイリアム・テルの話は有名なので皆さん聞いたことがあると思いますが、あらすじはこんな感じでした。


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むかしむかしのスイスは、となりの国のオーストリアのものでした。


スイスの人たちは一日も早く自分たちだけの国にしたいと望んでいました。


オーストリアでは、そんなスイスの人たちの自由をのぞむ気持ちを知ると、ますますきびしくなり、少しでもオーストリアの悪口をいうと、ろうやに入れられてしまうのです。


ある時、オーストリアから、ゲスラーという意地悪な役人がやってきて、町の広場のまん中に長い棒をたてて、


『このボウシは、オーストリア皇帝のボウシである。ボウシのまえを通る時は、かならずおじぎをすること。おじぎをしないものは、すぐ死刑にする』


と、立て札を掲げたんです。


そこへウィリアム・テルという、森にすむ猟師が、六つになる息子をつれて通りかかりました。


テルは、ボウシとたてふだを見ても、


「ここはスイスだ。オーストリア皇帝のボウシに、おじぎをすることはない」


と、そのまま通りすぎようとしたのですが、すぐに見張りの兵士につかまって、ゲスラーのまえにつれていかれました。


「なぜ、ボウシにおじぎをしないのだ?」


「わたしは、スイス人ですから」


「何っ?」


テルの答えに、ゲスラーはどなりました。


「すぐに死刑にしてやる! ・・・いや、まてよ」


ゲスラーは、テルのそばにいるテルの息子に気がついて、ニヤリと笑いました。


「死刑はゆるしてやろう。そのかわり、そこにいる息子の頭の上にリンゴをのせて、遠くからそのリンゴを矢でおとすのだ。いいな」


いじわるなゲスラーらしい、思いつきでした。


「さあどうした。自分のうでに自信がないのか? やらないのなら、おまえも子どもも死刑だ!」


テルは決心しました。


息子を木の下にたたせて、頭の上にリンゴをのせると、自分は二本の矢をとりました。緊張(きんちょう)のあまり、弓矢を持つテルの手がふるえています。


それを見た息子が、遠くの木の下からテルにさけびました。


「お父さん、ぼくはだいじょうぶだよ。こわくないよ。だって、ぼくのお父さんは、スイス一の弓の名人だもの」


息子の言葉に勇気づけられたテルは、弓に矢をつがえると、ねらいをさだめて手をはなしました。


 ビューン!


矢はまっすぐにとんで、みごとリンゴのまん中をうちぬきました。


まわりで息をひそめて見ていた人たちから、「ワアーッ!」というかん声があがりました。


「テル、バンザーイ。スイス一の弓の名人、バンザーイ」


おもしろくないゲスラーは、テルにむかっていいました。


「よくやった。だが、なぜ矢を二本とったのだ?」


「もし、一本目を失敗して、息子を死なせたら、もう一本で、あなたをねらうつもりでした」


「なんだと!」


正直にこたえたテルは、すぐにつかまえられました。


でも、ろうやにいくとちゅうでうまくにげ出して、ぶじに息子のもとへ帰ったので、テルはますます人気者になりました。


やがてスイスはテルたちのはたらきで、スイス人たちの国になったのです。


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これがスイスの英雄、ウイリアム・テルの物語です。


諦めからは何も生まれないということですね。一歩を踏み出す勇気と覚悟が時代を切り開き、人々に希望を与えるということです。


日々鍛錬。前へ前へ、一歩でも前へ。



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(川端語録)



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FIRSTITPRO 代表 川端 俊之