久しぶりに家族で31を食べました
メルティ ストロベリー チョコレート・ワールドクラスチョコレートなど
私はベリーベリーストロベリータルトに
ベリーベリーストロベリーとコクのあるフレンチバニラの甘さにタルト風菓子の食感が絶妙な組み合わせ
初めて食べましたが、とてもおいしくて満足しました
次男はアレルギーがあるので、ポーションカップにいつもしています
選んだアイス自体にアレルギー物質が含まれていなくても、器具が共通ですので、ショーケースの中に入っている大きな容器のアイスには、それまで注文した人の器具からアレルギー物質が入り込んでいる可能性があります
例えば、うちの子はナッツアレルギーなんですが、クルミを含んだアイスを誰かが注文して、その時に使った器具で、また次の人のアイスをすくいます
次の人はバニラアイスだったとして、元々バニラアイスにはクルミは含まれていませんが、器具からバニラアイスにクルミの成分が入ってしまうんです
こんな感じで、いろいろなアイスにクルミの成分が含まれてしまうんです
バニラにはナッツが入っていないから安心だと安易に選ぶと、目には見えないけどアレルギー物質が含まれている可能性があります
器具自体は新しい物を使ってもらうこともできますが、もうそれまでに既にショーケースの中のアイスの大きな容器にクルミの成分が入ってしまっていては、避けられません
だからうちは最初からポーションカップを選ぶようにしています
次男がポーションカップしか選べないから、家族みんなポーションカップから選ぼうという風にもしていません
それを次男が望めばそうしますが、そういうこともなさそうです
私がもし次男の立場なら、なんだか家族みんながそんなに気を使ってくれると、逆にあまり嬉しく感じないので、普通に好きなものを選ぶようにしています
味の選択は少なくなりますが、別に「可哀想」という扱いはしていなくて、食べられるだけよかったよという風に言っています
人それぞれいろいろな自分特有の特徴があり、皆と同じようにできないこともたくさんあります
それが不幸だと思えば不幸だし、不幸じゃないと思えば不幸じゃないと思います
自分の特性の大変さのレベルが様々なので、生きることが困難な位苦しんでいる人もたくさんいらっしゃいますが、それでも自分の特性に合わせて生きるしかないですもんね
義母はよく次男のアレルギーを「可哀想に」と言うんです
レストランに行っても、好きにメニューやデザートを選べないので、そういう時に「可哀想に」と言います
でも私は帰ってから次男に「可哀想ではないよ」と教えています
たくさん食べられる物があるだけ恵まれていると
可哀想と思ってしまうと、もう自分は可哀想だと思って生きるしかなくなっちゃいますもんね
何で少し前の人って、人の事を可哀想って決めつけてすぐに言ってしまうんでしょう
何かブームでもあったのかな?と思っちゃいますよ
私もよく「可哀想に」と母に言われて育ちました
折角これから未来がある子どもなのに、自分を可哀想だと思って生きるのは、とても勿体ないと思います。それよりも、出来ることがたくさんあるということに目を向けてほしいなと思います
まぁ何でも明るく前向きに行きたいと私は思います
と、全然話がそれてしまいました
ポーションカップは、今7種類もあるんです
ポーションカップ自体がアレルギー対応という訳ではなくて、それぞれのフレーバーに自分のアレルギー物質が含まれていると食べられませんが、カップに原材料が記載されているので、原材料以外は含まれていないという安心感があります
きっちり原材料を確認して買うと安心かと思います