新潮45が休刊。今後保守派はどこで発信するのか。
新潮45が休刊となった。
直接の原因は新潮45の10月号の特別企画そんなにおかしいか「杉田水脈」論文。
杉田水脈論文も読んだし、この特別企画も読んだ。
もちろん内容には強い反発を覚えたし、けしからんと思った。しかし、考えてみればこれらの極端な論理は完全な保守派の論理。新潮45も保守派雑誌と思えば、こういう記事が出ること自体は不思議ではないと思った。
ここ最近の世の中の動きはフェイスブックやツイッターによって意見の表明がしやすくなり、以前よりも人と人との交流が広がり、多様性を認める社会になってきたと思われているが、実際にはより分断化が進んでいる面もあると感じる。
なぜなら、個人同志の交流が広がるのは基本的には同じ価値観同志の間で広がり、異なる価値観同志の間では広がらない。その結果同じ価値観の者同士の結びつきがより一層強くなり、その価値観が増勢される。
SNSによって多くの人と結びつきが強くなったと感じるのは同じ価値観同志が結びつきやすくなっただけ。
実際にはソーシャルネットワークは、ホモフィリーの力(個人を類似の、同類の他者と紐づける傾向)を重視する。フェイスブックは、無数の「同類」のグループにフレームワークを提供する。しかし、それはコミュニティではない。(「さよなら、インターネットーGDPRはネットとデータをどう変えるのか」から引用)https://amzn.to/2QYIzzE
そういう風に考えると、今回の新潮45の特集はだれがなにを考えているのかわかったことは価値あることだと思った。実際に杉田水脈論文を肯定するばかりか、より発展した論文を寄稿した人もいた。また安倍政権の対応によっても安倍政権がなにを考えているのかもわかった。
今後このような言論が封じられと彼らはどこで発信するのか。明らかに自他ともに認める極右雑誌か、それとも外部への発信は一切やめてアンダーグランド化するのか。
実際にアメリカのトランプ大統領は、それまでのリベラルやポリティカルコレクトネスに反発し、アンダーグランド化した保守派、極右勢力によって支持され結果、予想外に突然生まれたと考えられている。
同じように日本では保守派の発言を封じ込めることで、より保守派の人たちを圧迫して、今以上に安倍政権を応援していくのではないかと思ってしまう。
実際に今回の新潮45の特別企画を読んでみて真っ先に感じたことは、安倍政権だけでなく、保守派は多数派を代表し、多数派のためだけの政策を推し進めようとしている。
それは選挙に絶対勝ち続けなければならない安倍政権と全く同じ。差別だとかの前に選挙に勝ち続けるための政策を推進する。
今後保守派はリベラル派によって言いたいことが言えなくなった。つまりリベラル派によって住みにくい世の中になってきたとプロパガンダを広めていくだろうと思う。
それはトランプ前のアメリカとよく似ている。
新潮45をほぼ廃刊に近い休刊に追い込んで、今後リベラル派はどのような戦略を取っていくのだろう。相手を追い詰めるのは得意だが、その後の処置がリベラル派は苦手ではないかと思う。
個人的には新潮45を休刊させずに、新潮45でリベラル派が反論する機会を与えるように動くべきだったのではないかなと思う。そうすることでもっと議論が深まり、保守派とリベラル派がまともに議論をすれば、おそらく大勢の人がリベラル派に共感したのではないかと思う。そして新潮45を休刊に追い込んだことは、リベラル派にとっては少し失敗だったのではないかと思ってしまう。