昨晩の深夜、NHKのドキュメンタリーを観ました。

戦時中に日本にあった「国防婦人会」のドキュメントでした。

「国防婦人会」はざっくり言うと、銃後から兵士を応援してお国のために婦人たちも戦いましょう、みたいな女性主導の会です。

軍の思惑の中、時代の流れや世相に飲み込まれ、結果的に「心の戦争」を強いられた戦時下の女性たちの姿がそこにありました。

戦時中は日本中が「洗脳」に近いもので団結させられていたんだろうなと想像がつきます。

 

国防婦人会で熱心に活動していた自分の母親を見て育ったお子さんたちが語ってくれた番組でしたが、そのお子さんたちも最高齢で97歳くらいになっていました。

 

何人もの方が今を生きる人たちへ大事なメッセージを発信してくださいましたが、私の心にもっとも印象に残った方がいます。

 

92歳くらいのご婦人だったでしょうか。

その方は毎日新聞やニュースを欠かさずご覧になっているそうです。

それは、自分の耳や目でしっかりと情報を精査したいからだそうです。

 

上の人(偉い人たち)が「そうだ」と言うことに対して、何も疑わずそれに(言われたことに)従うことはしないとおっしゃっていました。

 

「洗脳」自体が悪いことではないと思います。

私たちは気づかないうちに教育の中で何らかの「洗脳」を受けてきているでしょう。

物事の善悪や道理も教育の中(学校や大人たち、本など)から学んだことです。

それも一種の「洗脳」だと思います。

その「洗脳」のおかげもあるし、「洗脳」からの弊害もありますね。

 

時代とともに多種多様な考え方、価値観が生まれてきました。

他人の生き方や考え方に対して違和感を持ってしまうのは、私が持っている「洗脳された価値観」、他の言葉で言い換えるとしたら「自分の思い込み」や「考え方の癖」のせいだと思います。

 

若い人たち、とかく、自分の子供に対しては「私の時代は」とか、たまに言ってしまう。

「それくらいのことで」とか、たまに思ってしまう。

 

そのくせ、自分より上の世代が言うことには強い反発を覚えてしまうこともあります。

 

そんな自分を全否定しているわけでもないし、そもそもそれがダメだとは思いません。

前述したご婦人のように、広い視野を持って物事をきちんと判断できることが大事なのだと思うのです。

いつも自分が正しいと意地になるのではなく、

他者の意見を受け入れないということでもなく、

自分の意思をなくすことでもなく、

広い視野を持った上で自分なりの答えを見出すというか。

 

同じ価値観の人と一緒にいると安心します。

だけど、一人一人が思うことって価値観が同じでも違うことはあると思うんです。

そこで「自分はこうだ」となかなか言い出せない雰囲気が人を悩まさせるんですよね。

異端児とか変わり者だとか言われたりするのは嫌だし、組織にいたら村八分の存在になる言動は避けたいし怖いし。

今ならネットで炎上されても厄介だなと思うし(そこまでの影響力など自分にはないけれど、言葉の一節を取り上げられて吊るされちゃう人を見てると怖い)。

 

自分と他人は違うからこそ人はわかり合おうとする努力をするし、他者を尊重できるのではないかと思います。

でも、それもなかなか難しいですよね。

合わない人とは合わないし(苦笑)嫌なものは嫌、違うんじゃない?って思ったら納得するまで時間はかかるし、納得できないこともあるし。

 

あ、なんか全然説得力がない内容になってきたぞ。

 

表に出ている情報とネットで出回る情報と、現代人はたくさんの情報を手に入れることができました。

何を信じるかはその人次第です。

自分がいつも正しいとは限らないという気持ちを忘れず、広い視野で物事を見られる人でありたいと思いました。

こんな世の中だからこそ。

 

強引な終わり方になってすみません。