こんにちは。
韓国時代劇にハマっている私。
「チャングム」の後に見たのは「トンイ」です。
アマゾンプライムで全60話を制覇
長かったけど、面白かったです。
「オクニョ」「チャングム」とは違う感動と涙がありました。
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ネタバレになるので内容には触れません
今回は「正義を貫くこと」と「儒教の教え」について深く考えさせられました。
少し長くなります。
ご容赦ください
正義というのは簡単には語れません。
以前からブログでよく書いていることなのですが、立場によって正義の見方や解釈が違ってくるからです。
トンイに出てくる人たちもそうでしたが、みんな、自分の大切なものを守るために行いを正当化します。それがその人の正義になります。
大切なものってなんでしょう。
それも、人それぞれ違いますよね。
大切な人、大切な約束、大切な権利、お金、地位....
自分にとって大切なものを守るために誰もが必死に生きているのが人間です。
でも、自分にとって大切なものが他人にとって邪魔だったり悪だったりもします。
正しいと思っていることが他人には不都合なことであることがあります。
どこにも「絶対」や「確かなもの」などないのに、人はそれを必死に探し、得ようとし、苦悩するのです。
正義の中に悪があり、悪の中に正義がある、と言ってしまうのもどこか違う気がしますが、生きて行く中でもっとも注意しなくてはいけないのは、見えているものだけが真実ではないということかもしれません。
どんな角度からも物事を見られる心の冷静さが、思い込みや偏った考え方にとらわれずにいられ、本来の「誠」の姿を見せてくれるのでしょう。
声高に自分の正義や正当性を訴えても多くの理解を得られないのも現実です。
自分の正義を振りかざしても人の心はつかめません。
自分の正義を貫くことは相手の正義を否定することになります。
自分を否定した相手に心を開ける人はそう多くないはずです。
好意でやったこと、言ったことであっても、相手に不信感を与えたり傷をつけたりすることがあるのです。
そして、自分の志を曲げないことで、相手の心を折ってしまうこともあるんですよね。
だからと言って、本音を言えないような関係は嫌だし、人の顔色ばかりを伺う人生も嫌です。
大切なものを守りたいし、人が困っていたら役に立ちたいと思う気持ちを抑えることはできません。
姑息な手段で人を陥れる人は嫌いだし、平気で人を裏切る人も許せません。
そこで、私は冷静に物事を分析しなくてはいけないと思いました。
私はなぜこのような状況になったのか(原因)、自分がこの状況で選択すべきこと(行動)とはなんなのか、それを選択したらどうなるのか(予測)を。
自分の正義を貫くこと(自分の幸せを守ること)で誰かが不幸になったとしたらそれは果たして正しい選択、真の正義と言えるのかなって思うと、生きていること自体に罪を感じてしまいます。
それでも、自分が思う正義や幸せのために生きていかなくてはならないという現実に戸惑いさえ覚えます。
強いものに不当に虐げられていた者が、自らを守るために剣を持った。
人を殺すために剣を持ったのではないけれど、
大切なものを守るため、望むものを手に入れるために、
その剣を人に向けざるを得なかった。
(「トンイ」に登場する『賎民からなる秘密結社』にまつわる話です)
つまり、
そもそも大切なものを守るために手にした剣が人殺しのための剣になることもあるかもしれないという、矛盾さ、切なさ、悲しさを感じます。
生きていくことに物の哀れを感じてしまいます。
私はなんのために今を生かされているのでしょうかと、天を仰ぎたくなる思いです。
私はどちらかというと「私が悪いんだ」と自分を責めがちで、そんな性格を変えたいと思っています。でも、「自分は悪くない。絶対に正しい」とおごって生きてはいけないのだと改めて戒められました。
「天命」に従って激動の人生を歩んだ人々のドラマをいくつも見ているうちに、
儒教とか儒学とか、孟子とか孔子とか、今まで自分には縁のないものと思っていたものにとっても興味が湧きました。
わかりやすい本を探してみようかなって思います。