こんにちは。

 

「他人に〇〇だと見られたい、思われたい」

「他人から〇〇だと評価されたい」

 

私の頭の中は、いつもこんなことにとらわれていました。

 

「自分はどうしたいのか」よりも、

「どう思われたいのか」にとらわれていることによって、

本心とは違った形で物事が進んだり、終わってしまったりしていたと思います。

 

すべて自分の選択によって導かれたはずの結果なのに、

「うまくいかない」

「理解されない」

こんな風に、どこか周りに責任転嫁していたところもありました。

 

自分の人生は自分が思った通りに、つまり、自分が選択した通りに進んでいます。

近頃、それを痛感することばかりで笑ってしまうほどです。(苦笑いねあせる

 

ふと、思い出したんです。

 

それは、小学校の3年生か4年生の遠足のこと。

目の前にカメラマンさんがいて、メインで写真を撮ってもらう機会に恵まれました。

その時、隣にはクラス内でいじられていた男子がいてね、私はその男子のことがあまり好きではなかったの。

絶好の写真が撮れるその機会の中で私が思ったのは

 

「ここで楽しそうに笑っている写真を撮られると、一緒に写っている男子と写ることが嬉しいのかな、楽しいのかなって誤解されちゃうかもしれない!?

 

でした。

 

 

後日出来上がった写真は、それはそれはひどい顔をした私でしたよショボーン

隣の男子も、一緒に写っていた子たちも、とっても良い笑顔をしていたのにショック

 

本当は撮ってもらえることが嬉しかったのに、なんでこんな顔をしちゃったんだろうえーんって、

今でもその写真を撮られた時の心情を覚えているくらい後悔しています。

 

周りからどう思われるかを優先した結果、30年以上経ってもその瞬間を後悔をしたまま

 

 

怖いわ〜〜〜ガーン

損しているわ〜〜〜ゲッソリ

何やってんの〜〜〜ポーン

アホらしい〜〜〜笑い泣き

 

今思えばこんな風に思う後悔のパターンが、実は人生の中で何度もあるわけです笑い泣き

 

誰が何を言ったからといって、その「誰」が私の人生を生きることはないのに、

私はいつも「誰」「何」に気を遣いすぎてたわ汗

「誰」「何」に費やすエネルギーは尋常じゃなかったと思います。

 

「こんなこと言ったら....」

「こんなことしたら....」

 

下矢印下矢印下矢印下矢印下矢印下矢印下矢印下矢印下矢印

 

誰がなんと思うか!?

いやいや、誰がなんと思うかは相手の勝手(自由)ですよねアセアセ

相手の気持ちを自分の思い(期待)通りにしようって思ったって無理ですよねアセアセ

 

私ったら、「誰」「何」に支配されすぎよねゲッソリ

 

誰の人生なの?

私の人生でしょ?

 

「自分ファースト」で生きていたら、きっとね、誰のせいにもせず、誰を羨むこともなく、誰の目を気にすることもなく、後悔だって少なくなると思うのお願い

 

「自分ファースト」

「ありのままに生きる」

 

それは、

自分の言動や選択に責任を持つという生き方だと思うんです。

 

理想の自分になれないことを悲観する必要はなくて、

それよりも、自分がやりたいこと、表現したいことを他人の目を気にして捻じ曲げてしまうことの方がよっぽど悲しいことなんだわって思うようになりました。

 

自分の心を捻じ曲げて他人の期待(それも、ほぼ自分の想像)に応えようとする生き方から卒業しなくちゃ。

 

自分ファーストで

 

これが私の課題です(って幾度となく言っているような気がしますが)

 

 

 

 

 
3月に行った宮古島の旅行で撮った「私らしい一枚」です。
コップに飾られていた花を髪に飾っています(笑)
気どった写真は褒められないけど、こういうおちゃらけた写真は「私らしい」と言われます。
家族が笑顔になります。
笑いを取ろうとするとスベるけど、素だとウケる....
カッコつけようと思えば思うほどカッコ悪くなるのが私ってことなのかな爆  笑