私、いつも「良い〇〇」にこだわってきました。
「良い〇〇」になりたいというよりも、
「良い〇〇」として見られたいという気持ちが強かったのです。
でも、よく考えたらね。
「良い〇〇」って他人が評価することなんですよね。
仕事もそうだけど、
その結果、それがどうであったか
というところで私たちは生きています。
どんなに子供を思って必死に子育てをしていても、問題が起きれば親の責任が問われます。
良い親
良い妻
良い嫁
一体どういうことだろうって突き詰めてきたけれど、「良い〇〇」には際限も答え(正解)もありません。
だからこそ、「良い〇〇」にこだわると苦悩します。
「このままでいいのだろうか」
「必要とされていないのではないか」
「誰も評価してくれない」
「もっと頑張らなくては」
....とかね。
そのとき自分がどう思ってどう行動したか→自分の気持ち、考え
それがどう評価されたのか→相手の気持ち、考え
悲しいかな、自分が願ったように相手が自分を評価してくれたり、期待していた答えを返してくれるとは限りません。
良いお母さん(これは子供が感じること)
良い奥さん(これは夫や他人が思うこと)
良い嫁(これは難しい(笑))
苦しいのなら
自分が作り上げてしまった『良い〇〇」の観念を手放してみましょう。
ただ、『良い女』に関してはね。
自分の心がけというか、思いとか、努力次第で『なれる』ものだと思っています。
『良い女』になれる可能性は無限大ってこと。
自分が描く『良い女』の定義や理想像。
私はこういう女性になりたい!
という思いが、自分の人生の指針になる気がしています。
その先に、性を超えた『人間』としてどう生きたいのかの答えが待っていると思うのです。
今の自分を他人がどう見ているかを知ることが必要な時もあります。
客観的な視点から自分を知ることは、なりたい自分になれるきっかけになるからです。
今の自分をどう変えていきたいかを明確にすることは、明日の自分がどうなりたいかを純粋に導き出すヒントになるでしょう。
「良い〇〇」になりたいというよりも、
「良い〇〇」として見られたいという気持ちが強かったのです。
でも、よく考えたらね。
「良い〇〇」って他人が評価することなんですよね。
仕事もそうだけど、
その結果、それがどうであったか
というところで私たちは生きています。
どんなに子供を思って必死に子育てをしていても、問題が起きれば親の責任が問われます。
良い親
良い妻
良い嫁
一体どういうことだろうって突き詰めてきたけれど、「良い〇〇」には際限も答え(正解)もありません。
だからこそ、「良い〇〇」にこだわると苦悩します。
「このままでいいのだろうか」
「必要とされていないのではないか」
「誰も評価してくれない」
「もっと頑張らなくては」
....とかね。
そのとき自分がどう思ってどう行動したか→自分の気持ち、考え
それがどう評価されたのか→相手の気持ち、考え
悲しいかな、自分が願ったように相手が自分を評価してくれたり、期待していた答えを返してくれるとは限りません。
良いお母さん(これは子供が感じること)
良い奥さん(これは夫や他人が思うこと)
良い嫁(これは難しい(笑))
苦しいのなら
自分が作り上げてしまった『良い〇〇」の観念を手放してみましょう。
ただ、『良い女』に関してはね。
自分の心がけというか、思いとか、努力次第で『なれる』ものだと思っています。
『良い女』になれる可能性は無限大ってこと。
自分が描く『良い女』の定義や理想像。
私はこういう女性になりたい!
という思いが、自分の人生の指針になる気がしています。
その先に、性を超えた『人間』としてどう生きたいのかの答えが待っていると思うのです。
今の自分を他人がどう見ているかを知ることが必要な時もあります。
客観的な視点から自分を知ることは、なりたい自分になれるきっかけになるからです。
今の自分をどう変えていきたいかを明確にすることは、明日の自分がどうなりたいかを純粋に導き出すヒントになるでしょう。