月刊誌「ムー」2021年7月号の『エメラルド・タブレット』 記事を取上げる。
『エメラルド・タブレット』をムーペディアで読む
この記事の執筆者は、同誌で「ムーペディア」を担当する羽仁 礼氏。
「ムーペディア」は、「ムー」的な視点から、世界の不思議事象などを取上げる、いわばムーの〈百科事典〉。同誌読者にはおなじみのコラム。
「ムーペディア」の項目として取上げられるということは、その種の事柄として認知されていることを意味するだろう。それにしても、『エメラルド・タブレット』が取上げられたのには、少し驚いた。
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しかし、とは言っても、「anemone」2020年12月号の『エメラルド・タブレット』特集と同じく、『エメラルド・タブレット』の本文や内容そのものについての解析はなく、その周辺事情を書いてあるに過ぎない。
「anemone」の特集については、次の記事に書いた。
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羽仁氏は、まず、著者とされるトートについて、一般に知られていることをおさらいする。
世界史的な背景として、ローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけに応じた1096−99年の第1回十字軍の結果、イスラム圏との接触が増え、〈ヨーロッパでは失われてしまった古代ギリシア・ローマ時代の知識や、天文学や医学を中心に高度に発達したアラビア科学など、ヨーロッパの人間が知らない知的財産に触れる機会も増えた〉ことがある。
こうした分野の翻訳・紹介がのちのルネサンスの原動力の一つになったのだが、それらの文書の中に、「ヘルメス文書」と総称される〈一群の魔術的文書〉があった。
「ヘルメス文書」とは、〈古代の伝説の人物ヘルメス・トリスメギストスに帰せられる一連の神秘主義的著作〉の総称だ。
卓越した智恵者とされる、このヘルメス・トリスメギストスは、〈古代エジプトの書記の神トートと同一視されることもある〉。
羽仁氏は、〈他の伝説では、アトランティス最後の祭司王がトートであり、トートがその後三度目に人間の肉体に生まれ変わったときにヘルメス・トリスメギストスと呼ばれたのだとする。/この説によれば、トートはアトランティス大陸が沈没したのちにエジプトに逃れ、大ピラミッドを建設して、その内部にアトランティスの叡智を封じ込めたという。このときトートは、紀元前5万年から3万6000年ごろまでの長きにわたり、エジプトを支配したという〉と記す。
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羽仁氏は、次に、ヘルメス・トリスメギストスが書き残した全42巻の文書が、古代エジプトのアレクサンドリア図書館に〈所蔵されていたことは確かなようだ〉と記す。
同図書館は、紀元前3世紀初頭、プトレマイオス朝エジプトの王が首都に建設したもので、古代最大の図書館として知られる。言わば、古代の知の宝庫である。
ところが、紀元前48年、内戦に巻きこまれる形でアレクサンドリア図書館は焼失する。ヘルメス・トリスメギストスの文書はどうなったかといえば、〈その内容は全部ではないにしても、続くローマ時代、そしてイスラム帝国時代を通じて、エジプトやその周辺諸国で受け継がれてきたようだ〉と、羽仁氏は記す。
その文書じたいは、何に基づいて書かれたのかというと、〈その大本になったものこそ、「エメラルド・タブレット」と考えられる〉と氏は言う。
〈エメラルド・タブレットとは、その名のとおりエメラルドでできた板であり、ヘルメス・トリスメギストスがその持てる知識のすべてをこの板に刻み、後世に残したと伝えられている〉と氏は記す。
その後、9世紀初頭、バリーヌースの『創造の秘密の書』に、エメラルド・タブレットのアラビア語版が収められる。
それを含むアラビア語文書は、12世紀以降、ラテン語訳が作られる。ニュートンも、このラテン語訳を英訳したことは有名である。
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ここまでが「ムーペディア」の大部分で、つまり、ほぼ、ヘルメス・トリスメギストスのエメラルド・タブレットに関する記述だ。
最後に、トートが著したほうのエメラルド・タブレットの記述が5分の1ページほど書かれている。わずかな記述だが、この部分が最も重要であるので、引用する。
〈[アメリカのミュリエル・ドリール]によれば、トートことヘルメス・トリスメギストスが書き残したものとは別に、12枚のエメラルド・タブレットがエジプトの大ピラミッドの中に保管されていたのだという。このタブレットを保管してきたエジプトの神官団は、紀元前1300年ごろ、これらを中米のユカタン半島に運び、太陽神神殿の中の祭壇の下に隠した。(中略)そして、あるときドリールはその本来のエメラルド・タブレットを捜しだし、大ピラミッドの中に戻すよう命じられて、見事にこの難業を成し遂げたが、その際に写しを翻訳したのだという。〉
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この羽仁氏の記述を読むかぎりは、ヘルメス・トリスメギストスが書き残したエメラルド・タブレットと、ドリール(ドーリル)がエジプトに戻したトートのエメラルド・タブレットとの関係が不明である。確かに両者は別の文書ではあるが、通じるものはあり、両者をあわせ読むと理解は深まる。